
祇園祭後祭山鉾巡行―鈴鹿山、南観音山・2014年
7月24日に四条河原町の交差点で見た祇園祭の後祭山鉾巡行も中盤。 ここまで4基の山が河原町通を南下してきて、交差点で方向転換し、四条通を西に進んでいきました。 前半は、小さな山ばかりだったので、すんなりと巡行が進んでいます。
7月24日に四条河原町の交差点で見た祇園祭の後祭山鉾巡行も中盤。 ここまで4基の山が河原町通を南下してきて、交差点で方向転換し、四条通を西に進んでいきました。 前半は、小さな山ばかりだったので、すんなりと巡行が進んでいます。
7月24日の祇園祭の後祭山鉾巡行を四条河原町に見に行ってきました。 先頭の橋弁慶山、2基目の北観音山が、辻回しを終えて、3基目の山がやって来るところ。 沿道は、49年ぶりに復活した後祭山鉾巡行を見るためにたくさんの人が集まっていました。
2014年から祇園祭の山鉾巡行が17日の前祭(さきまつり)と24日の後祭の2回行われることになりました。 以前は、17日に山鉾巡行が1度だけ行われていたのですが、49年ぶりに後祭が復活したことで、山鉾巡行も2回行われることになったんですよね。 後祭で巡行する山と鉾は10基。 前祭では、左回りに巡行しますが、後祭では逆の右回りに巡行します。 私は、午前10時40分頃、四条河原町に到着しました。 そろそろ後祭の山鉾巡行の先頭が四条河原町に姿を現す時間です。
7月17日の祇園祭前祭(さきまつり)の山鉾巡行を四条河原町で見てきたわけですが、いよいよ最後となる23基目の船鉾(ふねほこ)が交差点に近づいてきました。 この日は、とても暑かったので、途中で帰ろうかとも思ったのですが、なんとか最後まで観覧することが出来ました。 とは言っても、観覧し始めた時には半分以上の山と鉾が辻回しを終えていたんですけどね。
7月17日に行われた祇園祭前祭(さきまつり)の山鉾巡行も、20基の山と鉾が四条河原町での辻回しを終え、3基を残すだけとなりました。 残り3基は、とても大きな山と鉾なので、辻回しも見ごたえがあります。
7月17日に四条河原町に祇園祭の前祭(さきまつり)山鉾巡行を観覧に行きました。 月鉾まで辻回しが終わったところで、ちょっと一休みといった感じで、小ぶりの山が3基、四条河原町の交差点にやってきました。 とは言え、山を曳いている方たちは、決して楽ではないでしょうね。
7月17日に行われた祇園祭前祭(さきまつり)の山鉾巡行。 私は、四条河原町から巡行の後半を観覧しました。 全23基のうち、16基目に登場したのは、蟷螂山(とうろうやま)です。
2014年から祇園祭は、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の2回、山鉾巡行が行われることになりました。 前祭は7月17日、後祭は7月24日が巡行の日です。 これまでは、7月17日だけ山鉾巡行が行われており、それが本来の姿だと思っていた方も多いでしょうが、実は前祭と後祭の2回、山鉾巡行が行われるのが本来の祇園祭の姿なんですよね。 というわけで、7月17日に前祭の山鉾巡行を観覧しに四条河原町の交差点に行ってきました。
鎌倉時代に藤原定家という文化人がいました。 歴史の教科書にも出てくる人物なので、その名くらいは聞いたことがあるでしょう。 藤原定家と言えば、小倉百人一首を選んだ人物、新古今和歌集の編纂に関わった人物として有名ですね。 嵐山には、時雨殿(しぐれでん)という小倉百人一首のミュージアムがあり、その辺りには、藤原定家が小倉百人一首を選んだ時雨亭がありました。 なので、藤原定家ゆかりの地として嵐山がよく知られていますが、実は、彼の邸宅は、京都市中京区の寺町二条にあったんですよね。
京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)には、展望台があります。 石清水八幡宮が鎮座する男山は、京都市の南の方角にあり、展望台は山の北側に設けられています。 この展望台の一角に谷崎潤一郎文学碑が置かれています。