京都にある三井発展の地・三井越後屋京本店記念庭園

京都市中京区の二条室町を歩いていると、立派なお屋敷があるのに気づきました。 まるで江戸時代のお屋敷のように瓦が乗った塀に囲まれていたので、大金持ちの方の邸宅なのだろうと思い、外から眺めていたのですが、どうも、居住空間であるべき建物が見当たりません。 一体、この敷地は何なのだろうと、門の前に行ってみると、そこには、「三井越後屋京本店記念庭園」と刻まれた石柱が立っていました。 どうやら、三井越後屋の建物跡のようですね。

京都市内最大規模の町家・杉本家住宅

京都らしさを感じる景色とは、どのようなものでしょうか。 すぐに思いつくのは、神社やお寺が建っている景色でしょうね。 他には、町並みに京都らしさを感じることができますよね。 祇園や先斗町(ぽんとちょう)を歩いていると、今、自分は京都にいるんだなと実感することがあります。 また、ビジネス街を歩いていても、突然、京都らしい景色に出会うことがあります。 その代表が、町家です。 地下鉄四条駅から西に5分ほど歩いた辺りに建つ杉本家住宅も町家なのですが、この町家は、京都市内最大規模だということです。

南朝が逆襲に転じた正平の役

正平7年(1352年)に南朝が京都を奪還しようとした正平の役が起こりました。 正平の役は、八幡合戦とも呼ばれており、京都府八幡市で南朝の軍と足利義詮の軍が戦いました。 この頃、室町幕府は、足利尊氏と弟の直義が争っており、南朝はその混乱に乗じて、京都還幸を試みたのです。

開運のご利益を授けてくれる神社とお寺

自分の努力だけでは、なかなかうまくいかないことは、しばしばあるものです。 そういう時、誰もが運がなかったと思うことでしょう。 反対に思いもしなかった幸運にめぐり会うということもあります。 こういう時は、運が良かったと思いますね。 長い人生の中で、運に左右されることは何度も訪れるもの。でも、自分の努力で運をよくできる人なんて、そうそういません。 それなら、神仏に運気が上がるように祈願した方が、気持ちが楽になりますよね。 ということで、今回の記事では、開運のご利益を授けてくれる寺社を紹介します。

豊臣秀頼が再建した京都の寺社

元和元年(1615年)に起こった大坂夏の陣で、豊臣家は滅びました。 徳川家康は、豊臣家を滅ぼすためにあれこれと画策をして戦の口実を作り大坂城を攻めたわけですが、その前に豊臣秀吉が子の秀頼のために残した莫大な資金を使わせて経済的に疲弊させようとします。 そのために家康が考えたのが、豊臣家に各地の寺社を再建させることでした。 寺社の再建には多額の資金が必要になります。なので、豊臣家の莫大な金銀を消費させるには、ちょうど良かったんですね。 秀頼の名で再建した寺社は様々なところにありますが、その中でも、京都の有名な寺社に多額の資金が使われています。

方除けのご利益を授けてくれる神社とお寺

方角や方位による災いをよけることを方除けといいます。 引っ越しや旅行で、知らない間に悪い方角に行ったり、家の増改築で悪い方位の工事をしなければならない場合に災いが起こるのを防ぐために方除けの祈願をします。 神社に行けば、方除けの祈祷をしてくれますが、せっかく方除けのお祓いをしてもらうのなら、方除けで有名なところに参拝しておきたいですよね。 ということで、今回の記事では、方除けのご利益を授けてくれる神社とお寺をいくつか紹介します。

本殿を囲む信長塀・石清水八幡宮

京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、古来より朝廷や武家の崇敬を受けてきた神社です。 そのため、石清水八幡宮には、歴史的に有名な人物から寄進された文化財が数多くあります。 例えば、本殿をぐるっと囲む塀も安土桃山時代に織田信長が寄進したものなんですよね。

茶室近くでしっとりと咲くアジサイ・石清水八幡宮

6月末に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に茅の輪くぐりに行った際、境内のアジサイも見てきました。 アジサイの数はそれほど多くないので、アジサイの名所というほどではないのですが、梅雨らしく、しっとり咲くアジサイを見ることができました。 今回の記事では、そのアジサイの写真を中心にお伝えします。

石清水八幡宮の茅の輪くぐり・2014年

毎年、6月30日になると、京都の神社では、夏越(なごし)の祓(はらえ)が行われます。 夏越の祓は、年明けからの半年間に体にたまった「枯れてきた気」、すなわち、「けがれ」や気づかずに行った「慎むべきこと」、すなわち、「罪」を祓い清める神事です。 6月に行われることから水無月の祓とも呼ばれます。 ということで、6月30日に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)にこの半年間のけがれと罪を祓い清めに行ってきました。

善法律寺にある覚運の墓塔

京都府八幡市に建つ善法律寺には、忠臣蔵と関係のある人物の墓塔があります。 その人物とは、覚運です。 あまりなじみのない名前ですが、覚運は、大石内蔵助の養子になった人物で、後に男山四十八坊のひとつ大西坊を再興したお坊さんです。