節分会で大賑わいの壬生寺・2024年

2月2日に京都市中京区の元祇園梛神社に節分の前日祭を見に行った後、南に約3分歩き壬生寺(みぶでら)を訪れました。 壬生寺でも、節分の日の前日と当日に節分会が行われます。 壬生寺の節分会は、とても賑わいがあり、京都市内の寺社の中でも人気がありますね。

元祇園梛神社の節分前日祭・2024年

2月2日。 京都市中京区の元祇園梛神社(もとぎおんなぎじんじゃ)に参拝しました。 当社では、2月2日に節分の前日祭、3日に節分祭が行われました。 元祇園梛神社にはお参りする予定はなかったのですが、境内が賑わっていたことから、それに釣られてお参りすることにしました。

葵の御紋が入った灯籠がある毘沙門堂

京都市山科区に毘沙門堂門跡(びしゃもんどうもんぜき)というお寺が建っています。 毘沙門堂門跡は、三千院、青蓮院、妙法院、曼殊院とともに天台宗の五箇室門跡の一つに数えられています。 門跡寺院は、皇族関係者が代々住職を務めてきたお寺で、そのため、皇室と縁が深いです。 毘沙門堂も、江戸時代に後西天皇の皇子公弁法親王(こうべんほっしんのう)が入寺して以来、門跡寺院となっています。 その毘沙門堂の境内には、徳川家の家紋である葵の御紋が入った灯籠が立っています。

大丸とゆかりのある瀧尾神社と宝塔寺

阪急電車の烏丸駅から四条通を東に約5分歩いた辺りに百貨店の大丸京都店があります。 大丸は、大阪や東京などにも店舗を持ち、日本を代表する百貨店ですが、その発祥の地は京都市伏見区です。 下村彦衛門正啓(しもむらひこえもんしょうけい)が、江戸時代の享保2年(1717年)に伏見に呉服店「大文字屋」を開業したのが大丸の始まりで、東山区の瀧尾神社(たきおじんじゃ)や伏見区の宝塔寺は、大丸の創業家の下村家とゆかりがあります。

出雲の阿国はなぜ歌舞伎踊りの興行に北野天満宮を選んだのか

現在の歌舞伎のもととなったのは、出雲(いずも)の阿国(おくに)が始めた歌舞伎踊りとされています。 慶長8年(1603年)3月25日に阿国は、京都市上京区の北野天満宮の境内で初めて歌舞伎踊りをし、京都の人々に強烈な印象を与えました。 ところで、阿国は、なぜ北野天満宮を選んで歌舞伎踊りの興行を行ったのでしょうか。

南禅寺にある今尾景年画龍碑

京都市左京区にある南禅寺には、立派な三門が建っています。 石川五右衛門が上って「絶景かな」と言ったと伝わる三門ですね。 その三門の北側に背が高い石碑が置かれています。 この石碑は、今尾景年画龍碑(いまおけいねんがりゅうのひ)と呼ばれています。

植柳小学校の碑と二宮金次郎像

京都市下京区にある西本願寺の御影堂門(ごえいどうもん)から、堀川通を渡り、東に約3分歩いた交差点の北東角に二宮金次郎像が立っています。 かつては、多くの小学校に二宮金次郎像が置かれていましたが、最近はあまり見かけなくなっていますね。 この西本願寺近くにある二宮金次郎像は、植柳小学校(しょくりゅうしょうがっこう)に置かれていたものです。

冬に参拝した熊野神社・2024年

1月中旬に京都市左京区の聖護院に参拝した後、南西に約5分歩き、熊野神社にも参拝しました。 熊野神社は、京都の熊野三山の一つに数えられる神社です。 約1200年の歴史を持つ当社ですが、普段は、それほど多くの人が参拝することはありません。

ネコの置物が所々に置かれた聖護院

1月中旬に京都市左京区の積善院凖提堂に参拝した後、西隣の聖護院(しょうごいん)にも参拝しました。 聖護院は、皇室関係者が明治時代まで代々入寺した門跡寺院(もんぜきじいん)で、この付近の地名ともなっています。 本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の総本山でもあり、境内には立派な建物がいくつもあります。