伏見稲荷大社の稲荷造の本殿

京都市伏見区の稲荷山のふもとに鎮座する伏見稲荷大社は、国内外から大勢の参拝者が訪れます。 正月は参道から本殿まで長蛇の列ができ、お参りするまでに長い時間を要します。 正月以外だと、人は多くても、それほど待たずにお参りできますね。 さて、伏見稲荷大社に訪れる目的は、千本鳥居をくぐるためという人が多く、本殿にはあまり興味を持たれていない印象を受けます。 本殿を見ていないという人も意外と多そうですね。

曲直瀬道三の墓所がある十念寺

京都市上京区の寺町通沿いに個性的なお堂を持つ十念寺というお寺があります。 境内に入って良いものかわからないことから、近くを通っても、外からお堂を眺めることしかしたことがありません。 その十念寺の墓地には、室町時代から安土桃山時代にかけて活躍した医師の曲直瀬道三(まなせどうさん)のお墓があります。

水力発電で光る渡月橋の歩道

京都市で人気のある観光地の嵐山には、桂川に渡月橋(とげつきょう)という橋が架かっています。 江戸時代以前に木材だけを使って架けられたような外観をしていますが、車道と歩道はアスファルトに覆われ、バスや自動車が通っても壊れない頑丈な橋になっています。 そんな古めかしい渡月橋ですが、夜になると歩道に設置されている花崗岩でできた行灯が水力発電により点灯するという仕掛けが施されています。

初秋の淀水路で咲くオシロイバナ・2024年

9月初旬に京都市伏見区の与杼神社に参拝した後、近くの淀水路を訪れました。 淀水路には、河津桜がたくさん植えられており、3月上旬になると水路沿いに濃いピンク色のラインができます。 河津桜が見ごろを迎えた淀水路・2024年 桜の時期は、大勢の旅行者や観光客の方がやって来ますが、その他の季節は地元の方の姿くらいしかみかけませんね。

長安をモデルにした平安京なのに京都に行くことを上洛と言う

延暦13年(794年)に桓武天皇が都を京都に遷し、平安京が誕生しました。 桓武天皇が京都を都に選んだのは、四神相応の地だったからで、その都市計画は唐の長安を参考にしたことはよく知られています。 ところで、長安をモデルにした平安京なのに京都に行くことをなぜ上洛と言うのでしょうか。 長安のような都なら、「上長」とか「上安」とか言えば良いのに不思議ですよね。

明治になって再建された豊国神社

京都市東山区に建つ豊国神社(とよくにじんじゃ)は、豊臣秀吉を祀っています。 慶長3年(1598年)に秀吉が亡くなると、遺体は、彼の遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に埋葬されました。 そのふもとの豊国廟太閤坦(ほうこくびょうたいこうだいら)には、80余りの廟社が造営され、後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(とよくにだいみょうじん)の神号を賜っています。 これが豊国神社の創建ですが、その後、荒廃し、明治になって再建されています。

五智山蓮華寺の石仏と因幡薬師の石仏は作者が同じ

京都市右京区の五智山蓮華寺には、五智如来などの大きな石仏が境内に祀られています。 世界遺産の仁和寺のすぐ近くにありますから、仁和寺に参拝した時には蓮華寺にもお参りをして石仏を見ておきたいですね。 蓮華寺の石仏を製作したのは、江戸時代の但称上人です。 但称上人は、その生涯において2万体もの石仏を製作したと伝えられており、下京区の因幡薬師(平等寺)にも但称上人作の石仏が置かれています。

晩夏に参拝した石清水八幡宮・2024年

8月下旬。 京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に参拝しました。 石清水八幡宮は、京都市の南西にある男山に鎮座する神社で、創建は平安時代です。 古くより都の裏鬼門を守る社として、朝廷から崇敬されてきました。 歴史がある大きな神社ですが、普段は、人が少なく混雑することはないですね。

昭憲皇太后の夢枕で坂本竜馬が語った言葉を刻む京都霊山護国神社の墓碑

京都市東山区の霊山(りょうぜん)に鎮座する京都霊山護国神社は、ペリー来航以降の幕末殉難者から第2次世界大戦までの英霊を祀っています。 明治元年(1868年)に我が国最初の官祭招魂社として創建され、墓地には、坂本竜馬のお墓があることは有名です。 そのお墓の脇には、明治37年12月に建立された墓碑があり、碑文には、明治天皇の皇后である昭憲皇太后の夢枕に坂本竜馬が現れた時の言葉が記されています。