前回の記事では、寺町通周辺に建つお寺のうち、丸太町から鞍馬口の間にあるお寺を紹介しました。
今回は、丸太町から少し南に歩いた寺町通沿いに建つ行願寺を紹介したいと思います。
無益な殺生を恥じた行円上人
行願寺は、西国三十三所霊場の第十九番札所で、寛弘元年(1004年)に行円上人が上京区の一条小川に創建しました。
行円上人は、以前は猟師として生活していました。
ある日、行円は鹿を射止めます。
息絶えた鹿に行円が近付くと、その胎内には子鹿がいました。
この時、行円は殺生の虚しさを感じ、仏門に入ります。
その後の行円は、常に鹿の皮を身にまとって念仏を唱え続けたことから、皮聖(かわのひじり)と呼ばれるようになりました。
そして、いつしか行願寺も革堂と呼ばれるようになったのです。
現在地に移ったのは大火災の後
現在の行願寺は、京都御苑から寺町通を少し南に歩いた場所に建っていますが、創建当時は先にも書いたとおり上京区の一条小川に建っていました。
その後は、寺町通沿いに建っている他のお寺と同じように豊臣秀吉の京都改造によって、寺町荒神口に移されました。
現在地に移されたのは、江戸時代に京都で大火災が起こった後です。
その大火災は、後に宝永の大火(1708年)と呼ばれるようになりました。
宝永の大火での焼失地域は、東は現在の京阪電車の出町柳駅から祇園四条駅、西は二条城の手前(堀川通)にまで及びました。
なお、本堂が再建されたのは、文化12年(1815年)です。
また、行願寺の境内には、都七福神巡りのひとつとなっている寿老人神堂が建っていて、その近くには小さな七福神がずらっと並んでいます。
行願寺に訪れた時には、この七福神も観ておきたいですね。
七福神については、「中年おじさんの散策」さんの一ヵ所七福神 その53 行願寺・革堂 (京都)の記事で一体ずつ写真が掲載されていますので、ご覧になってみてください。
また、行願寺の詳細は、下記ページを参考にしてみてください。