5月上旬に京都市東山区の泉山にある善能寺に参拝した後、西に約5分歩き悲田院にも参拝しました。
悲田院も善能寺と同じく泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)です。
訪れる人は、とても少なくいつも静かなお寺です。
初夏の境内の風景
悲田院には、JRまたは京阪電車の東福寺駅から東に約15分歩くと到着します。
朱色の山門の前にやって来ました。
山門の柱には、煎茶道東仙流総司庁と書かれています。
煎茶道東仙流は、泉涌寺の長老を家元とした煎茶の流儀で、その総司庁が悲田院です。
泉涌寺は、華道の月輪未生流も有名ですね。
山門をくぐると、石畳の参道が西に向かって延びています。
参道わきには、南無大師遍照金剛の像が立っています。
遍照金剛は、弘法大師空海のことで、南無大師遍照金剛とは、弘法大師空海に帰依することを意味します。
参道を進み、木々の葉が日に照らされて青々とした境内へ。
初夏らしさを感じる景色であります。
手水鉢の後ろにはお地蔵さま。
正面に見える建物は毘沙門堂で、泉山七福神めぐりの毘沙門天が祀られています。
それでは、毘沙門堂にお参りをしましょう。
悲田院は、身寄りのない老人や貧しい人を収容する福祉施設で、平安京の東西2ヶ所に設けられていました。
泉山の悲田院は、延慶元年(1308年)に無人如導(むにんにょどう)により上京区の安居院(あぐい)に天台、真言、禅、浄土の四宗兼学の寺院として建立されました。
福祉施設の悲田院との関係は不明ですが、その名が引き継がれています。
その後、後花園天皇の勅願寺となりましたが、兵乱により衰退しています。
再興は正保2年(1645年)で、高槻城主永井直清の帰依により、当地に再建されました。
境内ではサツキが咲き始めていました。
晴天の日の京都市街
毘沙門堂の北側からは、京都市街を眺めることができます。
北に目をやると、民家の屋根がたくさん見え、その向こうに東山の緑もくっきりと見えます。
青空には、薄っすらと雲が見え、初夏らしい景色であります。
西に目をやると京都タワーも見えますよ。
京都タワーの奥には西山も見えますが、やや霞んでいますね。
境内は、いつもながら無人に近い状態だったので、心静かに京都市街を眺めることができました。
そろそろ悲田院から出ましょう。
山門の近くに戻って来ると、意味ありげに大きな石がいくつか置かれていましたよ。
悲田院は、あまり有名なお寺ではないですが、泉涌寺に参拝した時には立ち寄って境内から京都市街を眺めておきたいですね。
人も少なく、落ち着いて参拝できますよ。