「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があります。
家にある小学館の国語辞典で、その意味を調べてみると、「大決心をもって、ことをおこなう気持ちのたとえ」と記されていました。
でも、この言葉は、昔はこういった意味ではなかったようです。
懸崖造の清水の舞台
清水の舞台とは、京都市東山区に建つ清水寺の本堂を意味しています。
下の写真に写っている建物が、その清水の舞台です。
現在の清水の舞台は、江戸時代の寛永10年(1633年)に徳川家光の寄進によって再建されたものです。
建物の前半分が崖に反りだすように建てられており、舞台を支えている木材には一切釘が使われていません。
こういった建築方法を懸崖造(けんがいづくり)とか、懸造(がかけづくり)、舞台造といいます。
下から舞台を見上げると、ケヤキの木が組み合わさって舞台を支えているのがわかりますね。
ここから飛び降りるというのは、相当な勇気がいることですから、思い切った行動をすることを「清水の舞台から飛び降りる」と例えることは、的を射た表現と言えます。
実は多くの人が強制的に飛ばされていた
江戸時代には、実際に清水の舞台から飛び降りていた人がいたそうです。
また、それよりも遥か前の平安時代には、多くの人が強制的に飛ばされていたと伝えられています。
強制的に飛ばされるとは、何ともひどいことと思いますが、実は、平安時代には、この清水の舞台から死体を谷に投げ捨てていたようです。
なので、生きたまま飛ばされていたわけではありません。
昔、清水寺が建つ辺りは、鳥辺野(とりべの)と呼ばれており、化野(あだしの)、蓮台野(れいんだいの)とともに京都の3大葬送地に数えられていました。
奈良時代や平安時代は、疫病や飢饉が流行すると、多くの庶民が亡くなりました。
しかし、この時代は、庶民が墓を立てることを許されていません。
そのため、庶民は、鳥辺野に葬られていました。
樋口清之の「逆(さかさ)・日本史3」(祥伝社)に解説があったので、該当箇所を引用します。
清水寺の下は、現在は本願寺の墓地だが、当時から、あの谷間は風葬と火葬の墓場だった。清水寺は懸崖造りの舞台で有名であるが、平安時代末は不便で、しかも建てにくい場所をわざわざ選んであのように高い舞台を造ったのには、それなりの理由があった。
あの舞台は、谷間に都の庶民の死体を捨てるために、棚を突き出して造ったのではないかと思われる。(中略)死体を捨てるのだから、町から遠いほうがいいし、死体の臭気を防ぐために、高いところに舞台を造る必要があった。
(中略)
清水は生きているときに飛びこまなくても、死ねばかならず飛びこませてくれる所だった。要するに、寺の”舞台”とは死を意味していたのである。
現在、清水寺は、京都で一番人気がある観光名所となっていますが、そこに向かう五条坂の南側が今も墓地なので、以前は、この辺り一帯が葬送地であったことがうかがえます。
「清水の舞台から飛び降りる」とは、単に高い場所から飛び降りることは勇気がいるといのが語源なのかと思っていましたが、実は、死を意味する言葉だったんですね。
普段、何気なく使っている言葉の語源を調べてみると、興味深い発見があるものです。
なお、清水寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。
2013年8月23日追記
この記事が、2013年8月22日のYahoo!JAPANニュース「京都の神社、仏閣」の「清水寺舞台の柱修理=380年ぶり―京都」の記事からリンクされました。
たくさんの方に訪問していただきありがとうございます。
2011年6月8日追記
この記事が、2011年6月8日のYahoo!JAPANニュース「京都の神社、仏閣」の「清水寺『平成の大修繕』変更も シロアリに舞台グラリ」の記事からリンクされました。
たくさんの方に訪問していただきありがとうございます。