鴨川は昔から現在の場所を流れていたのか?

京都市内の東を流れる鴨川は、そのほとりを地元の人が散歩やジョギングをしたり、旅行者や観光客が京都の景色を楽しむために歩いたりしています。

鴨川は、京阪電車の出町柳駅付近で、東の高野川と西の賀茂川が合流して鴨川となります。

賀茂大橋の中央に立ち、北を望むときれいな「Y」の形に賀茂川と高野川が合流しているのがわかりますね。

その鴨川ですが、かつては、今よりも西の堀川の辺りを流れていたという説があります。

平安京の造営のために鴨川を東に移動させた?

京阪電車の出町柳駅を出て南に3分ほど歩くと、賀茂大橋が鴨川に架かっています。

そのたもとから、賀茂川と高野川が合流し鴨川となっているのを見たのが以下の写真です。

賀茂川(左)と高野川(右)

賀茂川(左)と高野川(右)

写真の中央に中洲があり、左が賀茂川、右が高野川です。

これだけきれいに2つの河川が合流しているのを見ると、人工的に川の流れが造られたのではないかと考えてしまいます。

「鴨川人工説」や「鴨川つけかえ説」といわれる説があり、この説では、平安京に遷都されたころ、鴨川は平安京の中心にあたる現在の堀川あたりを流れていたと考えられています。

都の中心に川があると工事に支障をきたしますから、桓武天皇が鴨川を人工的に東に寄せたそうです。

そして、工事には、秦氏も協力したとされています。

鴨川はやっぱり昔から現在の場所にあった

鴨川人工説や鴨川つけかえ説については、歴史上の文献では事実を確認されていません。

青春出版社の『歴史で読み解く 図説 京都の地理』によると、この説が初めて登場したのは、平安遷都千百年記念に出版された『平安通史』巻之一とのこと。

その中で、長い堤を築いて川を東に寄せ氾濫を防いだのではないかと推定されることが記されているそうです。

そして、大正15年(1926年)にこの説を根拠に京都大学の卒業論文として鴨川人工説が発表されました。

しかし、『歴史で読み解く 図説 京都の地理』には、以下の記述があり、鴨川人工説は一般的な説ではないようです。

近年における地質調査では、人工説を否定する結果が多く出されている。今では鴨川は、昔から現在のところを流れていたというのが一般的な説だ。ただし、堀川に関しては、人工的な河川との認識が高いようだ。

ということで、どうやら、鴨川は平安京ができる以前から、現在の場所を流れていたようですね。

ただ、川幅は、今より西の河原町通あたりまであったようですが。

鴨川には、三条大橋や四条大橋など、多くの橋が架かっています。

それらの橋から眺める鴨川は、京都らしさを感じさせてくれます。

鴨川

鴨川

これからも、多くの人が鴨川の流れを橋の上から眺めることでしょう。

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