京都府乙訓郡大山崎町のJR山崎駅を出てすぐのところにフェンスで囲まれた土地があります。
どこかの会社が取得し、これからビルでも建てるのかなと思えるような土地なのですが、近くに説明書が設置されており、「山崎駅跡・河陽離宮(かやりきゅう)跡と離宮八幡宮の池跡」と記されていました。
JR山崎駅のかつての駅舎があった場所かと思ってしまいますが、そうではありません。
嵯峨天皇の離宮跡
JR山崎駅を出て、南の離宮八幡宮に向かう途中にその土地はあります。
フェンスに囲まれて、誰も中に入れないようになっています。
説明書によると、この地の周辺は、古代の駅や関、離宮や山城国の役所(国府)など重要な施設が存在した地域とのこと。
嵯峨天皇が、遊猟の際、駅舎を宿所として利用し、後に河陽離宮としたのも、この地ですね。
平成10年(1998年)に駐輪場の建設に伴って発掘調査を実施したところ、古代の礎石建物と石組み溝などが検出されました。
これらは、9世紀前半に築かれ、10世紀に廃絶しています。
礎石建物に使われた瓦は、大阪府柏原氏の竹原井頓宮(離宮)に推定されている青谷遺跡と同じ瓦や平城京・難波宮・平安宮等の都の瓦であることがわかったとのこと。
これらの遺跡は、「日本後紀」などの文献に記される山崎駅の遺跡と推定されています。
駅は、役人や貴族の往来の際に馬の乗り継ぎや宿泊施設として使われたもので、山崎駅は、山陽道と南海道の起点でもあり、特に重要視されていたそうです。
嵯峨天皇の河陽離宮は、この山崎駅を整備したものです。
礎石建物の一部と石組み溝は、埋め戻し、駐輪場の地下に保存されているそうです。
近世の遺構では、「離宮八幡宮絵図」に描かれた池跡を検出しており、この池跡は、「疋田家本離宮八幡宮文書」に「火の用心池」と記されており、防火水槽の役割を担っていたことがわかっています。
池の中からは、金箔瓦を含む多くの瓦も出土したそうです。
京都市内では、工事の際に遺跡が出土することがよくありますが、大山崎町も古い歴史を持つ地域なので、いろんなところから遺跡が出土するのでしょうね。
JR山崎駅で下車した際は、「山崎駅跡・河陽離宮跡と離宮八幡宮の池跡」にも立ち寄ってください。
なお、離宮八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。