5月下旬。
京都府乙訓郡大山崎町にある離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)に参拝しました。
以前に離宮八幡宮を訪れたのは10年以上前のことです。
久しぶりだと道に迷いそうになりましたが、なんとかたどり着くことができました。
静かな境内
離宮八幡宮の最寄り駅は、JRの山崎駅です。
駅からは、南に3分ほど歩くと離宮八幡宮に到着します。
阪急電車だと大山崎駅から西に徒歩約5分ですね。
離宮八幡宮の東門の前にやって来ました。
東門をくぐって境内に入ると、カエデの青葉が出迎えてくれました。
東門から参道を西に歩いていくと、南向きに鳥居が立っています。
鳥居の近くには、油祖像がありますよ。
近くの説明書によると、平安時代に神勅(しんちょく)により離宮八幡宮の神官が「長木」という油しぼり道具を作り、神前に捧げる灯明の原料である荏胡麻油(えごまあぶら)を大量にしぼることができるようになったそうです。
中世になると離宮八幡宮の油神人(あぶらじにん)が、荏胡麻油の製造・販売の独占権を認められ、山崎の油売りたちが日本中に材料のエゴマの買い付けに出向き、京都に油を売りに行きました。
戦国時代に美濃国を手に入れた斎藤道三は、山崎の油売りだったと伝えられていますね。
また、京都市伏見区の油掛地蔵は、山崎の油売りと関係があることで知られています。
鳥居の奥の石段上の中門をくぐり、本殿の前にやってきました。
それでは、本殿にお参りをしましょう。
平安時代、山崎は京都と西国を結ぶ中継地とされ、宿舎や食料を提供する駅が設けられました。
その駅舎を嵯峨天皇が遊猟の際に宿所として利用し、後に河陽離宮(かやりきゅう)を造営しました。
離宮八幡宮の名は、河陽離宮にちなむものです。
貞観元年(859年)に行教が、大分県の宇佐八幡から分霊を八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に勧請(かんじょう)する時、いったん当地に神霊がとどまったことが創建の始まりと伝えられています。
本殿の西側には、たくさんの末社が並んでいます。
こちらは、菅原道真腰掛け石です。
近くには、腰掛天神社があります。
菅原道真を祀っているようですね。
現在の離宮八幡宮の外観が整ったのは、江戸幕府3代将軍の徳川家光によって行われた寛永の造営とのこと。
しかし、幕末の蛤御門(はまぐりごもん)の変で、大半が焼失してしまいました。
かつては、広大な敷地を有していたのですが、明治9年(1876年)に官営鉄道が敷設され、境内の北郭が失われました。
同12年に油商山崎講や氏子・崇敬者によって本殿をはじめとする中心社殿が再興され、昭和初めの鉄道再整備の際には、京都府が設計技手の東金五郎を派遣して、格式ある歴史にふさわしい社殿が再建されたそうです。
境内の南側には神馬の像があります。
神馬の後ろのカエデの新緑が初夏らしさを感じさせます。
神馬の足元には、なぜか埴輪が置かれていましたよ。
本殿にお参りを済ませたので、離宮八幡宮から出ましょう。
帰りは、南側にある惣門から外に出ました。
この惣門と来るときにくぐった東門は、蛤御門の変で焼失せずに残り、大山崎町の指定文化財になっています。
私が離宮八幡宮にいる間は、参拝者がほどんどおらず、境内は静かでしたよ。
この後は、大念寺に参拝します。
なお、離宮八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてください。