クレオパトラ、楊貴妃、小野小町。
上記の3人の女性は、世界3大美人とされています。
京都市山科区の随心院には、3大美人の日本代表である小野小町の史跡が存在することで知られています。
99日通い続けた深草少将
随心院の境内には、下の写真に写っている化粧井戸があります。
この辺りは、小野小町の邸宅があった場所とされており、化粧井戸は、彼女が使用していたものと伝えられています。
小町は、世界3大美人に数えられるほどの美貌を持っていたことから、言い寄る男性の数も相当多かったそうです。
その中には、深草少将(ふかくさのしょうしょう)という男性も含まれていました。
深草少将は、積もる思いを胸に小町を訪ねます。
しかし、小町は深草少将に冷たく、「百夜通い続けることができたら、あなたの意のままになります」と告げて追い返しました。
深草少将は、小町の言葉を信じ、毎夜、彼女のもとに通い続け、そのたびに門前の榧(かや)の木の実を証拠として出しました。
小町のもとに通い続けること99夜目。
その夜は、雪が降って大変寒く、少将は、99個目の榧の実を手に握りしめたまま亡くなりました。
この物語は、謡曲「通小町(かよいこまち)」の一節で、境内には、小野小町の歌碑の隣にその説明書があります。
ちなみに歌碑には、以下の歌が刻まれています。
花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに
なお、通小町については、喜多流大島能楽堂のWEBサイトの下記ページに内容が紹介されていますので、ご覧になってください。
小町榧と文塚
随心院には、仁海僧正供養塔の後ろに大きな榧の木が植えられています。
この榧の木は小町榧といいます。
小町榧は、通小町に登場する榧の実を小野小町がまいたと伝えられています。
また、小町榧の前の道をまっすぐ進むと文塚もあります。
文塚は、平安時代に小野小町に送られたラブレターを埋めた塚とのこと。
その数は1,000通あり、深草少将のものも含まれていると伝えられています。
ここまで小野小町と深草少将のことをいろいろと書いてきましたが、実は、深草少将は架空の人物です。
ただ、そのモデルと伝えられている人物はいます。
それは、深草の帝と呼ばれた仁明天皇(にんみょうてんのう)です。
建物内の拝観
随心院の境内には、上で紹介したように小野小町の史跡が多くあります。
この他に随心院の建物内にも小野小町ゆかりの品々が保管されています。
建物内の拝観の入り口は、下の写真の庫裡(くり)で、拝観料400円が必要になります。
建物内には、小野小町を描いた絵画や像がいくつかあります。
その中には、彼女の晩年の姿を写したとされる卒塔婆小町坐像もあります。
この座像は、恵心僧都の作だそうです。
また、小野小町作と伝えられている文張地蔵尊像も建物内に安置されています。
随心院は、小野小町に興味がある方にとって、一度は訪れる価値があるお寺ですよ。
なお、随心院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。