京都の街を歩いていると、偶然、石碑を発見することがあります。
先日も、京都市上京区の新烏丸通を南に向かって歩いていると、建物の片隅に「嶋村俊一邸跡」と刻まれた石碑を発見しました。
嶋村俊一とは、聞いたことない名ですが、石碑が建立されているのですから、きっと有名な人物なのでしょう。
京都府立医学専門学校の初代校長
嶋村俊一について、インターネットで調べてみると、Wikipediaとフィールド・ミュージアム京都のウェブサイトが見つかりました。
嶋村俊一は、どうやら現在の京都府立医大の前身である京都府立医学専門学校の初代校長とのこと。
生まれたのは幕末で、明治20年(1887年)に帝国大学医科大学医学部を卒業した後に大学院に進みました。
明治24年に狐憑病の調査のため、「島根県下狐憑病取調報告」をまとめます。
そして、同じ年に自費でドイツ留学し、明治27年に帰国しています。
帰国後は、京都府医学校教諭となり、精神医学、神経学、法医学を担当し、京都府立療病院医員を兼ねたそうです。
明治32年に京都帝国大学医科大学が開校すると、多くの医学者が引き抜かれましたが、嶋村俊一は医学校・療病院に留まり、同36年に療病院長に就任、医学校は京都府立医学専門学校として認可され、療病院は同校附属病院となりました。
嶋村俊一の邸宅跡は、京都府立医大の南東にあります。
最寄り駅は、京阪電車の神宮丸太町駅です。
駅から西に3分ほど歩き、河原町通を渡った先にある新烏丸通を北に曲がって約3分歩けば、建物の片隅に嶋村俊一邸跡の石碑が立っています。
石碑の側面には、「京都府立医学校第五代校長 京都府立医学専門学校初代校長」と刻まれています。
反対側の側面には、昭和60年(1985年)12月に石碑が建立されたことが記されていました。
嶋村俊一は、大正12年(1923年)に亡くなりました。
今も京都府立医大は存続しており、多くの医療従事者を輩出しています。
嶋村俊一は、現代医学に大きく貢献した人物だったんですね。
京都を散策していると、よく石碑を見つけることがあります。
中には、何の石碑か全くわからないものもあります。
そのような石碑でも、きっと大きな意味があるのでしょうね。