京都の街を歩いていると、昔ながらの家屋の屋根に怒ったような顔をしている小人を見かけることがあります。
その小人は、鍾馗(しょうき)といいます。
家屋の屋根に鍾馗を祀るのは民間信仰のひとつで、主に京都や奈良の町家で見かけることが多いようです。
受験失敗で自殺した鍾馗
京都市東山区の若宮八幡宮の境内に鍾馗を祀っている鍾馗神社があります。
最寄駅は京阪電車の清水五条駅で、駅から五条通を東に5分ほど歩くと若宮八幡宮に到着します。
鳥居をくぐり参道をまっすぐ石段下まで進むと、左側に一風変わった鍾馗神社があります。
鍾馗神社の由緒書によると、鍾馗は主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神さまとのこと。
その昔、唐の玄宗皇帝が病の床につき、夢の中で現れる鬼に悩まされていましたが、鍾馗が退治してくれました。
玄宗皇帝が正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて自殺した」と言いました。
科挙は、現在の日本でいうと国家公務員になるための試験のようなものです。
鍾馗の死を知った唐の初代皇帝の高祖皇帝は彼を手厚く葬ります。
玄宗皇帝の夢の中で、鍾馗はその恩に報いるためにやってきたと告げました。
目を覚ました玄宗皇帝は、病気が治っていることに気付き、夢で見た鍾馗の姿を絵師に描かせ、疫病除けや受験の神さまとして定めたということです。
鍾馗に感謝する祭事がなかった
由緒書を読んでいくと、京都や奈良では家屋の1階の中屋根に鍾馗が置かれているところが多く、向かい合わせの鬼瓦や同じ鍾馗から弾かれた災いなどをはねかえし、家を守っているのだそうです。
また、家を守る以外にも学業成就や鍾馗に退治された鬼を貧乏神になぞらえ、貧乏除けとして信仰するところもあるとか。
江戸時代中期には、疱瘡(天然痘)除けとして顔を赤く塗られた鍾馗もあったそうです。
若宮八幡宮の鍾馗神社にある小さな祠を覗いてみると、鍾馗さんがいらっしゃいました。
疫病除けと学業成就を祈願しておきましょう。
ついでに貧乏除けも。
鍾馗神社が若宮八幡宮にあるのは、当宮に陶祖人・椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が祀られている陶器神社があり、瓦からできている鍾馗も同じ焼き物であることが理由のようです。
ご神体の鍾馗が北東の方角を向いているのは、その方角が鬼門にあたるからです。
災い除けのために北東を向いているんですね。
東山区では鍾馗をよく見かけますが、同じ町を守るお地蔵さんの地蔵盆はあっても、鍾馗にはそのような感謝する祭事がありませんでした。
この素朴な疑問から、鍾馗を神格化して鍾馗に感謝する神社を建立し、鍾馗祭りも実施されるようになったのだそうです。
鍾馗神社が建立されたのは、平成25年(2013年)12月1日です。
建立者は京都造形芸術大学の芸術学部の先生で、御神体制作には同大学の美術工芸学科の当時の4年生の学生さんが関わりました。
祠の手前、左右には狛犬のように小さな鍾馗が2体います。
狛鍾馗というのでしょうか。
左側は、口を閉じた吽形(うんぎょう)の鍾馗。
そして、右側は口を開けた阿形(あぎょう)の鍾馗。
小さな体ではありますが、迫力のある顔をしています。
これなら、疫病も貧乏神も追い払ってくれそうですね。
まだ建立されて間もない鍾馗神社ですが、きっと、これから多くの参拝者に親しまれていくことでしょう。
なお、若宮八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。