寿永4年(1185年/元暦2年)2月。
現在の香川県で、源氏と平家が合戦をしました。
世に言う屋島の戦いです。
屋島の戦いで有名なのが、源氏の武者で弓の名手である那須与一(なすのよいち)の活躍です。
義経の奇襲で海上に逃げる平家
屋島に陣を敷いた平家は、源義経率いる源氏軍が海から攻撃してくるものと考えていました。
そのため、平家軍は海からの攻撃に備える形で屋島にたてこもっていました。
対する源氏軍は、淡路島の南から徳島県の勝浦に上陸。
そこから北上して、屋島にたてこもる平家軍を後ろから攻撃する作戦です。
攻撃する源氏軍は、わずか150騎ほどだったのですが、背後から奇襲された平家軍は混乱し、舟に乗って海上へと逃げました。
扇の的
さて、海上に逃げた平家ですが、どうしたわけか一艘の舟が浜に近寄ってきます。
その舟には、平家方の女官が乗っており、日の丸の扇を掲げています。
「扇の的を矢で射抜いてみよ」という平家の挑戦状と解釈した源義経は、「誰か、あの扇の的を射ぬける者はいないか」と源氏の武者たちに向かって言いました。
そこで、名乗りを上げたのが那須与一です。
与一は馬に乗って、海へと進み、射程圏まで来たところで止まりました。
そして、矢を1本取り出し、キリリと扇の的に向けて構えます。
しかし、扇が波に揺られて、なかなか狙いが定まりません。
波に揺られる扇をじっと見つめ、矢を射るタイミングを計る与一。
「南無八幡大菩薩」
そう唱えた与一は、扇の的へ向かってヒュンと矢を放ちました。
与一の手を離れた矢は、一直線に扇へと向かって飛んでいきます。
矢は見事的中。
射られた扇は、ヒラヒラと海面へと落ちていきます。
これを見た源氏軍は拍手喝さい。
敵の平家軍からも称賛の声が聞こえてきます。
両軍の注目の中、見事に扇を射抜いた那須与一の集中力と精神力は大したものですね。
即成院
屋島の戦いは、最終的に源氏の勝利で幕を閉じました。
この戦いで活躍した那須与一のお墓が東山区の泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)である即成院(そくじょういん)にあります。
境内には、与一の手洗い場があります。
与一の手洗い場には、扇形の紙石鹸の「願いが的へ」が売られています。
この紙石鹸で手を洗うと恋愛成就、学業向上、運気好転、金運向上、病気平癒のご利益を授かることができるそうです。
ところで、那須与一のお墓ですが、ここに行くには本堂の中を通る必要があります。
本堂の脇に「那須与市之墓参道」と刻まれた石柱がありますが、ここからは与一の墓には行けませんので注意してください。
墓場の中に那須与一のお墓があるのかと思ったのですが、上の写真のように建物の中に彼のお墓だけがあります。
もしも、屋島の戦いで扇を射ることができなかったら、これだけ立派なお墓は造られなかったのではないでしょうか。
正に運命を変えた一矢と言えますね。
なお、屋島の戦いの史跡については、平家琵琶というWEBサイトの下記ページに写真が掲載されていますので、ご覧になってください。
また、即成院の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。