京都市左京区に平安時代の絶世の美女小野小町が晩年を過ごした地があります。
そこは、現在の叡山電車の市原駅がある辺りです。
そして、市原駅から南に5分ほど歩くと、小野小町の亡骸が葬られたとされる補陀落寺(ふだらくじ)が建っています。
静かに佇む補陀落寺
補陀落寺は、小野小町と縁のあるお寺ということで、小町寺の通称で呼ばれることが多いです。
お寺の入り口付近には、歌碑が置かれていました。
歌碑の近くには、平たい石があり、「補陀落寺 こまちでら」と刻まれています。
補陀落寺は、志納制とのことなのですが、どこにもお金を入れる箱が見当たらなかったので、そのまま石段を上って境内にはいることに。
石段の奥に見えるのは本堂です。
あまり大きな本堂ではないですが、割ときれいな建物です。
この本堂は平成10年(1999年)に建て替えられたもので、以前は鞍馬寺の護摩堂を移築した建物を本堂として使っていたとか。
補陀落寺には、小野小町の晩年の姿をかたどった木造が祀られているのですが、本堂の扉が閉まっていたので見ることができませんでした。
補陀落寺は、ここより北の静原に清原深養父(きよはらのふかやぶ)の山荘があり、それを天徳3年(959年)に寺に改めたのが始まりとされています。
また、天慶8年(945年)に天台宗15代座主の延正僧正が創建したとも伝えられています。
境内には、「小町すがたみの井戸」があります。
晩年の小町は、この井戸で自分の姿を映したのでしょうか。
補陀落寺に祀られている小野小町老衰像を写真で見たことがあるのですが、あばら骨が浮き上がって痩せ衰え、絶世の美女と言われた女性とは思えないような姿をしています。
井戸に映る年老いた自分の姿を見た小野小町は、どのように思ったのでしょうか。
老婆となった自分に悲しんだのか、それとも諸行無常は世の常と年老いた自分の姿を受け入れたのか、それは小野小町自身でなければわかりません。
なお、同様の井戸は、山科区の隨心院にもあります。
境内には、小野皇太后の供養塔もあります。
小野皇太后は、藤原歓子(ふじわらのかんし)のことで、後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の皇后だった女性です。
一説によれば、この地には、小野皇太后が出家して隠棲し天皇の菩提を弔った常寿院があったとも言われています。
補陀落寺の境内は、訪れる人がおらず、とても静かでした。
小野小町が、このような静かな地で晩年を過ごしたのは、若い頃に都で絶世の美女と騒がれたことに疲れたからなのかもしれませんね。
なお、補陀落寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。