毎年10月22日に京都で行われる時代祭。
人々が歴史上の人物に扮した行列が、京都の街を練り歩く時代祭は、京都三大祭のひとつです。
男性の場合、坂本竜馬、羽柴秀吉など、有名な人物が多いのですが、女性の場合は聞きなれない人がたくさん登場します。
もちろん清少納言や紫式部といった有名どころも登場しますが、そうでない女性が多いように感じます。
その中でも、江戸時代の玉蘭という女性をご存知の方は少ないのではないでしょうか。
池大雅の妻
玉蘭という女性は、与謝蕪村とともに日本文人画を完成させたとされる池大雅(いけのたいが)の妻です。
池大雅は、芸術家特有というのか、とても風雅な性格をしていました。
暮らしは裕福ではなく、むしろ貧しいといった方がよいでしょう。
そんな嫁ぐと苦労しそうな池大雅と結婚した玉蘭もちょっと変わっていたようで、貧しい生活をむしろ楽しんでいたようです。
池大雅という芸術家に嫁いだ玉蘭。
こういった女性は、教養があふれているか、もしくは、その逆といったことが多いように思えます。
で、玉蘭の場合は、どっちなのかというと、教養のある方です。
玉蘭の祖母は、梶という女性でした。
梶は、祇園社(現在の八坂神社)の門前で茶屋を営んでいた女主人で、幼いころは、和歌や物語をたしなんでいた文学少女でした。
彼女が14歳の時に詠んだ以下の歌は、評価が高く、この歌を詠んだのが梶だと知った粋人たちが、一目見ようと茶屋に殺到したと伝えられています。
恋い恋いて 今年もあだに 暮れにけり 涙の氷 明日やとけなん
梶は、「梶の葉」という歌集をのこしており、その挿絵は、友禅染で知られる宮崎友禅が描いたものです。こういった芸術家との交わりがあったのですから、梶には、人並み外れた教養があったのでしょう。
梶には、百合という娘がいました。
この百合も梶の後を継ぎ茶屋を営み、和歌をよく詠んだことから、当時の人々に評判がよかったということです。
さらに百合の娘の町も茶屋を継ぎ、絵画の才能を持っており、後に池大雅に嫁ぐことになります。この町が玉蘭なんですね。
後に梶、百合、町の3代に渡るこの才女たちは、祇園の三才女と呼ばれるようになります。
ちょっと変わった性格だった玉蘭
祇園の三才女のひとりとされる玉蘭ですが、その性格はちょっと変わっていたようです。
ある日、夫の池大雅が出かける時に仕事道具の筆を忘れてしまいました。
それに気づいた玉蘭が後を追い、大雅に筆を渡したところ、彼は玉蘭だと気付かず、「どなたか知りませんが、筆を拾っていただきありがとうございます」と礼を言いました。
普通なら「あなた、何を言ってるのよ。私じゃない」と答えるはずですが、玉蘭は、何事もなかったように自宅に戻ったといわれています。
また、玉蘭は、公家の冷泉家に和歌を習うことになり、あいさつに出向くことになりましたが、その時の姿が、まるで魚を売り歩く大原女のような恰好だったので、冷泉家の人々を驚かせたということです。
とは言え、彼女は、祇園の三才女と呼ばれた女性。
暮らしは貧しかったものの、季節ごとの礼物はとても丁寧だったそうです。
その後、玉蘭は大雅と仲睦まじく日々を送り、大雅が亡くなった数年後にこの世を去りました。
時代祭は、勇壮な甲冑姿の武将に注目が集まりますが、玉蘭のようにあまり知られていない人物にも目を向けると、また違った楽しみ方ができますよ。