巳年の初詣は、どこに行こうかといろいろと考えている方も多いのではないでしょうか。
でも、ヘビと関係ある神社は、たくさんあるわけではないので、探すのが大変です。
どんなに探してもヘビと関係ある神社を探すことができなかった方は、京都市北区の玄武神社に初詣に出かけてはいかがでしょうか。
平安京の北を守る玄武
玄武神社は、市バス亭「堀川北大路」から南に5分ほど歩いた辺りに建っています。
あまり広くはない神社で、しかも背後に大きなマンションが建っているため、ちょっと見つけにくいかもしれません。
玄武神社の玄武とは、平安京の北の守護神のことで、社名はここから付けられたものです。
玄武とはいったい何なのかというと、亀とヘビが合体した生き物です。
下の写真に写っているのが、その玄武です。
なかなか縁起の良さそうな姿をしていますね。
玄武神社のご利益は、厄除、方除ということなので、厄年の方や引っ越しを控えている方は、初詣に訪れると良いのではないでしょうか。
惟喬親王遺愛の剣を祀る
さて、玄武神社の祭神ですが、玄武を祀っていると思ってしまいますが、実は祀られているのは、惟喬親王(これたかしんのう)です。
惟喬親王は、文徳天皇の第一皇子で、母は、紀名虎(きのなとら)の娘でした。
文徳天皇は、惟喬親王を皇太子にしようと思っていたのですが、皇后の藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)に皇子が誕生したため、そちらが皇太子となりました。
この時、皇太子となったのが、惟仁親王(これひとしんのう)こと、後の清和天皇です。
惟喬親王が皇太子となれなかったのは、母の身分が低かったことが理由です。
清和天皇の母の藤原明子は、良房を父に持つ身分の高い家柄だったので、文徳天皇は、遠慮して惟喬親王を皇太子にするのをあきらめたんですね。
皇太子となれなかった惟喬親王は、大宰帥(だざいのそち)などの役職を歴任した後、出家して大原に隠棲し、54歳で亡くなりました。
この悲運な惟喬親王遺愛の剣をその末裔と伝わる星野茂光が、元慶年間(877-885年)に祀ったのが、玄武神社の始まりとされています。
創建にまつわる話を聞くと、あまり縁起が良さそうな感じではありませんが、それはそれとして軽く聞き流しておきましょう。
巳年の初詣には、ヘビが亀に巻き付いた玄武の姿を拝みに玄武神社に訪れてみてはいかがでしょうか。
なお、玄武神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。