鴨川と京女

京都市の東を北から南に流れる鴨川。

京都の川と言えばすぐに思い浮かぶのが鴨川という人は多く、京都に住む人だけでなく旅行者や観光客の方にも長年親しまれています。

歴史を振り返れば幾度も氾濫し大洪水を惹き起こした鴨川ですが、それでも、「鴨川の水で顔を洗うときれいになる」とのことわざがあるように、京都の人々にとってなくてはならない存在だとわかります。

京女を作るのは鴨川

鴨川を使ったことわざには、「鴨川の水を産湯に使うと美人になる」というものもあります。

このことわざを知ると、「京女は一日にしてならず」なんだなと変に納得してしまいます。

鴨川

鴨川

産まれた時から鴨川の水に親しむことが、美しくやさしい京女に育つための条件であれば、他の地域で産まれた女性は、その後、京都に移住してどんなに長く暮らしても京女になれないことになりますね。

こういうところに京都人の排他性を感じるのかもしれません。

京都の女性をたたえることわざには、「東男(あずまおとこ)に京女」もあります。

男性は気前の良い江戸の男、女性は美しくやさしい京都の女が好まれるというものですが、普段は穏やかな流れの鴨川がそのような印象を京女に与えているように思えます。

春の鴨川

春の鴨川

また、京都と言えばお寺が多いことでも知られていますが、それと同じくらい美人が多いという意味のことわざに「京に多きものは寺と女」があります。

「東男に京女」もそうですが、他国の人々からは京都の女性が美しく感じられ、そのような噂が諸国に広まっのかもしれませんね。

自分の意志ではどうにもできない鴨川の流れ

平安時代に白河法皇が自分の思うようにならないものとして、鴨川の水、サイコロの目、山法師を挙げたのは有名な話。

一度暴れた鴨川は、時の権力者でもどうにもならなかったことを象徴した話ですが、もしかすると鴨川の水で育った京女も自分の意志でどうにもならないという含意があるのではないかと考えてしまいます。

夏の鴨川

夏の鴨川

美人と言えば、「京はお口のべっぴん」ということわざもあります。

べっぴんは美人のこと。

京ことばは上品で奥ゆかしい響きを持っていますが、それはうわべだけの取り繕った言葉で、本心で言っているのではないと揶揄することわざです。

「ぶぶ漬けでもどうですか」は、「早く帰れ」の意味というのが、その典型ですね。

穏やかに晴れた日は水面があまり揺れない鴨川も、大雨となれば濁流と化し何もかも飲み込みそうな勢いで下流に向かいます。

秋の鴨川

秋の鴨川

その様は、普段はやさしげな京女も、一度怒ると止められない点とよく似ていますね。