10月22日に行われた時代祭。
神宮道を前列が通過した後は、いよいよ神幸列の登場です。
時代祭では、この神幸列が最も重要な列になります。
神幸列
神幸列の先頭を楯、矛、御弓が進みます。
その後ろから車に乗って禰宜(ねぎ)がやって来ます。
禰宜は、神社のお偉いさんですね。
赤色の衣装が重要な役職であることを物語っています。
禰宜の次にやってきたのが、孝明天皇の鳳輦(ほうれん)です。
平安神宮には、平安京最初の天皇の桓武天皇と最後の天皇の孝明天皇が祭神として祀られています。
時代祭は、一年に一度、祭神が市中を巡幸し、市民が平和に暮らしていることを確認するための行列です。
鳳輦は、江戸時代後期の様式にならったものです。
鳳輦の屋根には、金色の鳳凰が立っていますよ。
孝明天皇の鳳輦の後ろから錦蓋(きんがい)と菅蓋(かんがい)が進みます。
錦蓋とは何なのかちょっと調べてみると、天皇が輿から下りて歩くときに使用されるものだそうです。
伊勢神宮の遷宮のときに御神体をおおう絹の布との説明もあったので、天皇の姿を隠すためのものなのでしょうね。
菅蓋についても調べてみると、大嘗祭(だいじょうさい)のときに背後からさしかける大きな傘という説明がありました。
ちなみに大嘗祭は、天皇が即位後初めて行う新嘗祭(しんじょうさい/にいなめのまつり)のことで、天皇がその年に収穫された新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に供える儀式が新嘗祭です。
こちらは、桓武天皇の鳳輦です。
見た目は、孝明天皇の鳳輦と同じように見えます。
屋根から延びている4本の赤い糸を触らせてもらえますよ。
白川女献花列
神幸列の次にやってきたのは、白川女献花列です。
白川女(しらかわめ)は、白川の流域に住み、季節の花を売り歩くのを業とする女性のことです。
平安時代中期から御所に花を届けていたとも伝わっています。
時代祭では、伝統的な白川女の姿で登場し、頭に神前に供える花を乗せて歩きます。
歩いている最中、ずっと花を頭に乗せているのは大変でしょうね。
弓箭組列
時代祭の最後に登場するのが弓箭組列です。
丹波国南桑田(亀岡市)と船井(南丹市)には弓術に優れた人が多くおり、明治維新の山陰道鎮撫のおりに弓箭組(きゅうせんぐみ)が組織されました。
時代祭当初から子孫有志が鳳輦の警護を担ってきています。
弓箭組列は、人と人の間隔が広くなっていて、行列が密集していません。
弓箭組の後ろから自動車がやって来ました。
時代祭はこれにて終了です。
なお、時代祭の様子は動画にも収めているのでご覧になってください。
午後2時過ぎに神宮道にやってきた時代祭の行列は、午後3時40分頃にすべてが通過したので、観覧に約1時間30分かかりました。
2時間はかかるかなと思ったのですが、意外と早く終わりましたよ。