6月中旬に京都市伏見区のさすてな京都にアジサイを見に行った後、北東に約15分歩き、田中神社に参拝しました。
田中神社には、以前にも参拝していますが、それは随分と昔のこと。
田中神社の名すら忘れてしまいそうでしたが、さすてな京都を訪れたことで思い出し、久しぶりにお参りしていこうと思った次第であります。
曇り空の下の境内
田中神社には、京阪電車の中書島駅から西に約25分歩くと到着します。
駅から市バスに乗車し「横大路車庫前」で下車すれば、西に徒歩約3分ですから、市バスを利用した方が便利です。
京都外環状線に面する田中神社の鳥居の前にやって来ました。
虫の神様、馬の神様と書かれた案内が出ていますね。
虫の神さまであることは覚えていましたが、馬の神さまであることはすっかり忘れていましたよ。
参道を北に歩いていくと、もう1つ鳥居が現れます。
鳥居をくぐった右手には手水舎があり、龍の口から手水鉢に御神水が流れていました。
最近は、人が近づくと水が自動で流れてくる手水舎が増えていますが、田中神社は常に水が流れているようです。
境内の中央に建つ拝殿。
この日は、まだ梅雨入り前でしたが曇り空でした。
田中神社の拝殿は、平成8年(1996年)に再建されたものなので、比較的新しいですね。
拝殿に上がると、吠えている馬の像が置かれていました。
立ち上がっている馬の像もありましたよ。
馬の神さまを祀る神社らしいですね。
拝殿の先に本殿がありますが、拝殿より先に進めないので、ここからお参りをします。
田中神社は、治暦年間(1065-1069年)に現在の八坂神社である祇園感神院から勧請(かんじょう)したのが始まりです。
祭神は、八坂神社と同じく、建速素盞嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)です。
かつては、下鳥羽田中里に社殿がありましたが、天正年間(1573-1592年)に洪水で本殿が流され現在地に無傷で漂着しています。
氏子は、その奇跡に驚き、総出で境内の造作をし、盛大な祭りを行ったそうです。
ちなみに当社が、馬の神さまと崇められているのは、近くに魚市が立ち、馬借が軒を連ねていたことによります。
そして、虫の神さまと崇められているのは、境内の南東に北向きに建つ北向虫八幡宮(きたむきむしはちまんぐう)があるからです。
平安時代中期の冷泉天皇が幼かった頃、疳の虫が激しかったのですが、母の藤原安子が当社に祈願したところ平癒したと伝えられています。
北を向いているのは、安子の父藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が御所を守護するようにと、ここから北にある御所に向けて社殿を新造したからです。
以前は、水上交通の拠点であった草津湊(くさつみなと)に祀られていましたが、明治5年(1872年)に田中神社の境内に遷されました。
北向虫八幡宮の隣には遥拝所もあります。
南東に向かって拝むようになっているので、伊勢神宮の遥拝所でしょうね。
境内では、萩が赤色の花を咲かせていました。
初秋に見ることが多い萩の花ですが、6月に咲いているのを見ることもありますね。
拝殿の東側に置かれた石板には、七福神が彫られていました。
縁起が良くなるよう、こちらもしっかりと拝んでおきましょう。
拝殿の後ろに建つ本殿。
一間社流造の本殿は、文化13年(1816年)に再建されたものです。
本殿にお参りを済ませ、境内も一通り見たので、そろそろ田中神社から出ることに。
私が境内にいる間、他に参拝者が来ることはありませんでした。
この後は三栖神社に参拝します。
なお、田中神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。