京都市伏見区の勝念寺は、「かましきさん」の愛称で親しまれています。
かましきさんとは、当寺に伝わる身代釜敷地蔵尊のことで、江戸時代から苦しみを取り除いてくれると信仰されています。
織田信長が寄進した身代釜敷地蔵尊
勝念寺の最寄り駅は、京阪電車の丹波橋駅、または近鉄丹波橋駅です。
丹波橋駅からは西に徒歩約3分、近鉄丹波橋駅からは西に徒歩約5分で勝念寺に到着します。
入り口には、織田信長が、閻魔法王自作霊像と身代釜敷地蔵尊を寄進したことを示す石碑が置かれています。
勝念寺は、天正15年(1587年)に聖誉貞安(しょうよていあん)上人が創建した浄土宗のお寺です。
貞安上人は、織田信長の帰依を受けたお坊さんで、東山の祇園閣が有名な大雲院を創建したことでも知られています。
身代釜敷地蔵尊は、貞安上人が織田信長から譲り受けたお地蔵さんなんですね。
同様に平安時代後期の作と伝わる閻魔法王自作霊像も、織田信長が貞安上人に寄進したものです。
身代釜敷地蔵尊は、境内の地蔵堂に祀られています。
勝念寺が、「かましきさん」と呼ばれているのは、この身代釜敷地蔵尊が由来です。
説明書によると、かましきさんは、地獄で釜茹での責めに苦しんでいる亡者に代わり自ら釜の中で苦を受けたお地蔵さまとのこと。
「身代」とは、地獄で苦しむ人の身代わりになったという意味なんですね。
勝念寺は、安永7年(1778年)に火災に遭い、本堂などが焼失したのですが、身代釜敷地蔵尊と閻魔法王自作霊像は、表境内土蔵に安置していたため難を逃れています。
この辺りにも、不思議な力を感じます。
なお、勝念寺の仏さまは、普段は公開されていないのですが、身代釜敷地蔵尊には、お参りすることができます。
身代蛙と厄除釜
地蔵堂の前には、摩尼車(まにぐるま)があります。
説明書によると、摩尼車は、摩尼宝珠(まにほうじゅ)や如意宝珠(にょいほうじゅ)とも呼ばれ、意のままに宝を出すといわれている珠だそうです。
摩尼車を手前に1回まわせば、お経を1巻読んだのと同じ功徳が得られるとのこと。
まわす際は、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」と唱えます。
どう読むのかすぐにはわかりませんね。
「ギャーテイギャーテイハーラーギャーテイハーラーソーギャーテイボージーソワカ」と読むようです。
また地蔵堂の足元には、たくさんのカエルがおり、釜も置かれています。
カエルは身代蛙、釜は厄除釜というそうです。
身代蛙は、境内に多くおり、これは、身代釜敷地蔵尊の「みがわり」が「かわる」となり、そして「かえる」になった語呂合わせです。
厄除釜は、身代釜敷地蔵尊が地獄で入った釜とのことで、厄除のご利益があるそうです。
勝念寺では、9月に境内の萩がたくさん咲き、一般に公開されます。
その時に境内のカエルが、どれくらいいるのか探すと良いですね。
また、勝念寺には、他にも織田信長が寄進した多羅観音や門出八幡宮のご神体も伝わっていますが、これらは通常非公開です。
なお、勝念寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。