秋らしくなってきた瑞光寺に参拝・2022年

9月中旬に京都市伏見区の宝塔寺に参拝した後、南に約3分歩き瑞光寺を訪れました。

瑞光寺は、それほど大きなお寺ではないため観光で訪れる人は少ないです。

参拝者のほとんどはお墓参りに来た方ですね。

瑞光寺には、寂音堂と呼ばれる茅葺屋根の本堂があり、秋になるともの悲しい情緒を感じさせます。

初秋の境内

瑞光寺には、京阪電車の龍谷大前深草駅から南東に約8分歩くと到着します。

入り口の前には、何やら意味ありげに大きな石が置かれています。

入り口

入り口

参道は緩やかな石段となっており、奥に小さな山門が建っています。

石段

石段

この山門は、かつては茅葺屋根だったのですが、2018年の台風の後に壊れにくい屋根に変わりました。

境内に入ると、まず鐘楼が目に入ります。

鐘楼

鐘楼

そして、鐘楼を過ぎ左に曲がると茅葺屋根の本堂が現れます。

境内

境内

カエデは、上の方の葉が少し色づいていますね。

京都は、9月中旬に台風が過ぎて一気に秋らしい涼しい気候に変わりました。

この日は、台風が過ぎた直後で特に涼しかったです。

同じ景色でも、気温が下がると秋らしさが感じられるものですね。

本堂の前では、ススキの穂が伸びていました。

ススキ

ススキ

ススキの穂を見ると、さらに秋に入ったなと感じますね。

それでは、本堂にお参りをしましょう。

本堂

本堂

池では、大きなコイが泳いでいましたよ。

鯉

元政上人の墓

山門から外に出て西に歩き、JRの線路をくぐってやって来たのは、瑞光寺を創建した元政上人のお墓の入り口です。

墓地の入り口

墓地の入り口

戸を開けて中に入ります。

そして、まっすぐ進んだ先に玉垣に囲まれた元政上人のお墓があります。

墓地

墓地

元政上人は、彦根藩の井伊直孝に仕えていた石井吉兵衛という武士でしたが、病弱だったため、26歳の時に妙顕寺の日豊上人のもとで出家しました。

元政上人は、病弱な自分が親に先立つ不孝を恐れ摂生に努め、母親が87歳で亡くなった2ヶ月後にこの世を去っています。

この話を知った水戸黄門でおなじみの水戸光圀は、元政上人のお墓に「嗚呼孝子元政之墓」という碑を立てたいと申し出ますが、当時の住職が、それは元政上人の精神にそぐわないとして辞退しました。

現在は、元政上人のお墓の近くに「嗚呼孝子元政上人之廟」と刻まれた石碑が立っています。

元政上人のお墓は、竹が3本立っているだけの簡素なものです。

元政上人の墓

元政上人の墓

1本は法華経広宣流布のため、1本は衆生救済のため、1本は両親のためという意味が込められています。

また、元政上人のお墓にお百度参りをすると縁結び、縁切れが叶うと伝えられています。

縁結びは時計回り、縁切りは逆方向に回ると叶うとされていますから、お百度参りの際はまちがえないようにしましょう。

いずれも年齢の数を回るとご利益があり、できれば21日間お参りをしなければならないそうです。

そろそろ元政上人のお墓から出ましょう。

初秋の瑞光寺で、秋の到来を感じることができました。

この後は、真宗院に参拝します。

なお、瑞光寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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