9月中旬に京都市伏見区の宝塔寺に参拝した後、南に約3分歩き瑞光寺を訪れました。
瑞光寺は、それほど大きなお寺ではないため観光で訪れる人は少ないです。
参拝者のほとんどはお墓参りに来た方ですね。
瑞光寺には、寂音堂と呼ばれる茅葺屋根の本堂があり、秋になるともの悲しい情緒を感じさせます。
初秋の境内
瑞光寺には、京阪電車の龍谷大前深草駅から南東に約8分歩くと到着します。
入り口の前には、何やら意味ありげに大きな石が置かれています。
参道は緩やかな石段となっており、奥に小さな山門が建っています。
この山門は、かつては茅葺屋根だったのですが、2018年の台風の後に壊れにくい屋根に変わりました。
境内に入ると、まず鐘楼が目に入ります。
そして、鐘楼を過ぎ左に曲がると茅葺屋根の本堂が現れます。
カエデは、上の方の葉が少し色づいていますね。
京都は、9月中旬に台風が過ぎて一気に秋らしい涼しい気候に変わりました。
この日は、台風が過ぎた直後で特に涼しかったです。
同じ景色でも、気温が下がると秋らしさが感じられるものですね。
本堂の前では、ススキの穂が伸びていました。
ススキの穂を見ると、さらに秋に入ったなと感じますね。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
池では、大きなコイが泳いでいましたよ。
元政上人の墓
山門から外に出て西に歩き、JRの線路をくぐってやって来たのは、瑞光寺を創建した元政上人のお墓の入り口です。
戸を開けて中に入ります。
そして、まっすぐ進んだ先に玉垣に囲まれた元政上人のお墓があります。
元政上人は、彦根藩の井伊直孝に仕えていた石井吉兵衛という武士でしたが、病弱だったため、26歳の時に妙顕寺の日豊上人のもとで出家しました。
元政上人は、病弱な自分が親に先立つ不孝を恐れ摂生に努め、母親が87歳で亡くなった2ヶ月後にこの世を去っています。
この話を知った水戸黄門でおなじみの水戸光圀は、元政上人のお墓に「嗚呼孝子元政之墓」という碑を立てたいと申し出ますが、当時の住職が、それは元政上人の精神にそぐわないとして辞退しました。
現在は、元政上人のお墓の近くに「嗚呼孝子元政上人之廟」と刻まれた石碑が立っています。
元政上人のお墓は、竹が3本立っているだけの簡素なものです。
1本は法華経広宣流布のため、1本は衆生救済のため、1本は両親のためという意味が込められています。
また、元政上人のお墓にお百度参りをすると縁結び、縁切れが叶うと伝えられています。
縁結びは時計回り、縁切りは逆方向に回ると叶うとされていますから、お百度参りの際はまちがえないようにしましょう。
いずれも年齢の数を回るとご利益があり、できれば21日間お参りをしなければならないそうです。
そろそろ元政上人のお墓から出ましょう。
初秋の瑞光寺で、秋の到来を感じることができました。
この後は、真宗院に参拝します。
なお、瑞光寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。