古くから京都の中心と言われているのが、中京区の六角堂境内にあるへそ石です。
このへそ石は、かつては、六角堂の南側を通る六角通の真ん中にあったのですが、明治10年(1877年)に六角堂境内に移されているので、京都の中心よりやや北にずれています。
桓武天皇が都を平安京に遷した際、道路整備中に六角堂が道路の中央にあたったため、天皇が少しずれてくれるよう祈願したところ、自ら北に移動し、その時に礎石をもとの位置に残していったと伝えられています。
それが、六角堂のへそ石だと。
この説以外にも、へそ石は、水位計の台を支えていた礎石だとする説もあります。
洪水を知らせる水位計?
六角堂の最寄り駅は、地下鉄の烏丸御池駅です。
駅からは、南に約5分歩くと六角堂の山門の前に到着します。
山門をくぐった正面に本堂の六角堂があり、その少し東にへそ石があります。
へそ石は、六角形をしています。
六角堂も、上から見ると、屋根が六角形をしていますよ。
六角のお堂に六角の礎石を使ったのだと言われれば、へそ石が六角堂の礎石だったことに納得しますね。
へそ石が、六角堂の礎石だったとする説に対抗した説を唱えたのは、江戸時代中期の戯作者であった田宮仲宣(たみやなかのぶ)でした。
高野澄さんの『京都の謎 伝説編』によると、田宮仲宣は、昔は六角堂の前に水位を測る水竿(すいかん)が立ててあったと言ったそうです。
常に水位を測っておけば、水位が上がってきたときに六角堂の鐘を鳴らして、洪水になる前に住民に知らせることができます。
田宮仲宣は、その話を古老からうかがったそうです。
京都で洪水と言えば、古くから鴨川の氾濫でした。
堀川も氾濫したことがあるでしょう。
しかし、どちらの川も、氾濫して六角堂のあたりまで水位が上がってから鐘をたたいていたのでは避難に間に合いません。
だから、水位計は、六角堂から西にある神泉苑の池の水位を測っていたのではないかと、高野さんは推測しています。
大昔は、六角堂の周辺は池だったそうで、やがて水が引いて中州が現れ、さらに地面の方が多くなったところで平安京が造営されたのだとか。
それでも、残っていた池を庭園にしたのが神泉苑とのこと。
六角堂の近くにあった大きな池があふれる前に住民に知らせるため、水位計が必要であり、その水位計を設置するために使ったのが、へそ石だったということのようです。
へそ石が六角通に置かれるところを目撃した人は生存していないので、それが何のために置かれたのかは推測する以外にありません。
そうやって推測していくうちに京都には、いくつも伝説が生まれたのかもしれませんね。
なお、六角堂の詳細については以下のページを参考にしてください。