11月初旬に京都市中京区の誓願寺に参拝した後、新京極通を南に2分ほど歩き、誠心院を訪れました。
誠心院も、誓願寺と同じく和泉式部と縁のあるお寺です。
和泉式部寺とも呼ばれており、正式名の東北寺(とうぼくじ)誠心院は、和泉式部の院号です。
なかなか興味深いお寺ですが、お参りをしていく人は少なめです。
式部千願観音と宝篋印塔
誠心院には、地下鉄の京都市役所前駅から、南に約10分歩くと到着します。
誠心院の入り口にやってきました。
入り口は、左右のお店に挟まれとても狭くなっています。
誠心院に参拝する人が少ないのは、これも原因かもしれません。
入り口にある鈴成り輪(ぐるま)は、願い事をしながら回します。
境内に入る前に回しておきましょう。
山門の壁には、和泉式部と一遍上人の物語が展示されています。
こちらもしっかりと見ておきたいですね。
山門をくぐった先に本堂が建っているのでお参りをしましょう。
誠心院は、平安時代中期に藤原道長が、娘の上東門院彰子(じょうとうもんいんしょうし)に請われ、和泉式部のために法成寺(ほうじょうじ)東北院に小御堂(こみどう)を建立したのが始まりとされています。
当初は、京都御所の東の荒神口にありましたが、鎌倉時代に小川通一条上るに移転、天正年間(1573-1592年)に現在地に移されました。
明治5年(1872年)には、新京極通が境内に通され、現在の規模となっています。
本堂の前には、水かけの行者さんがいらっしゃるので、水をかけてお参りをしておきましょう。
本堂の北側には、式部千眼観音が祀られています。
そして、式部千願観音の左右には、たくさんの観音さまがいらっしゃいます。
本堂の東側には、二十五菩薩も祀られています。
和泉式部は、娘の小式部内侍(こしきぶのないし)に先立たれ、この世の無常を感じ「女人往生」のすべを求めて書写山の性空(しょうぐう)上人を尋ねました。
そして、誓願寺の本尊の阿弥陀如来の霊験を教えられ、48日のお籠りの末、「女人の身でも南無阿弥陀仏と一心にお唱えすれば、身の穢れも消えて往生できる」との教えを受けます。
その後も念仏三昧の日々を送り、和泉式部は二十五菩薩に迎えられ弥陀の浄土へ往生したと伝えられています。
それ以降、女人往生を願う人があれば、和泉式部が歌舞の菩薩とお迎えに来てくれるとの信仰が盛んになりました。
二十五菩薩の前には、和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔(ほうきょういんとう)が立っています。
この宝篋印塔には、正和2年(1313年)の銘がありますよ。
宝篋印塔の南側にある小さな石塔たちは、山口甚介一族の塔です。
山口甚介は、天正年間の移転の際に施主となった人です。
誠心院にとっては恩人なんですね。
本堂にお参りを済ませ、境内も一通り見たので、そろそろ誠心院から出ることに。
境内には六地蔵も祀られているようなのですが、どこにあるのかわかりませんでした。
この後は、六角堂に参拝します。
なお、誠心院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。