秋に参拝した西岸寺の油掛地蔵・2021年

10月上旬にキバナコスモスを見ながら宇治川派流沿いを歩いた後、北に5分ほど歩いて西岸寺(さいがんじ)を訪れました。

西岸寺には、商売繁盛で知られる油掛地蔵が地蔵堂に祀られています。

私は以前にこの油掛地蔵にお参りをしたことがありますが、それは随分と前のこと。

久しぶりに近くを通りかかったので、お地蔵さんに商売繁盛を祈願することにしました。

油掛地蔵にお参り

西岸寺は、京阪電車の伏見桃山駅、または近鉄電車の桃山御陵前駅から大手筋商店街を西に5分ほど歩き、途中で南に曲がった油掛通沿いにあります。

この辺りは、昭和の古き町並みが残り、懐かしさを感じられます。

油掛通は、西岸寺の油掛地蔵が由来で名づけられたものです。

西岸寺の入り口に到着。

入り口

入り口

入り口には、「芭蕉翁来訪の折に詠じた句碑」と刻まれた石柱が立っています。

芭蕉翁来訪の折に詠じた句碑

芭蕉翁来訪の折に詠じた句碑

そして、その後ろには、「油懸地蔵尊 西岸寺」と刻まれた石柱も。

油懸地蔵尊 西岸寺

油懸地蔵尊 西岸寺

入り口から北に進むと奥に本堂が建ち、その少し前に地蔵堂があります。

地蔵堂

地蔵堂

それでは、地蔵堂に商売繁盛を祈願しましょう。

油掛地蔵は、伏見天皇と正親町天皇(おおぎまちてんのう)の信仰が篤く、正応3年(1290年)に不思議の霊験があったことから、文保元年(1317年)に伏見院別御殿を下賜され、地蔵院の称号を賜ります。

油掛地蔵と呼ばれるようになったのは、山崎の油商人が、この地蔵尊の門前で転んで油をこぼしてしまい、桶に残っていたわずかな油をお地蔵さんにかけたところ、商売がうまくいき繫盛したことが由来です。

それ以来、商売繫盛のお地蔵さんとして信仰されるようになりました。

油掛地蔵は、鎌倉時代の作と考えられており、銘もあるのですが、参拝者がかけた油が2cmほど積もっていることから読めなくなっています。

蕉翁塚

地蔵堂の近くには、松尾芭蕉がこの地を訪れたときに詠んだ俳句が刻まれた蕉翁塚があります。

蕉翁塚

蕉翁塚

石碑に刻まれているのは以下の俳句です。

我衣に ふしみの桃の しずくせよ

松尾芭蕉は、貞享2年(1685年)に3代目の住持であった任口(にんこう)上人を訪ね、上の句を読みました。

かつて伏見には、日本一の桃の林があり、その桃からの雫が自分の衣を濡らすように任口上人の徳もわが身にいただきたいとの意味があります。

西岸寺の本堂はきれいな姿をしています。

本堂

本堂

普段は、手前の扉が閉まっているので、近づいてお参りすることはできません。

また、境内には墓地もあり、地蔵堂のわきには、お墓参り用と思われる桶と柄杓が置かれています。

桶と柄杓

桶と柄杓

地蔵堂の前や参道には、油懸地蔵尊ののぼりが何本も立っています。

のぼり

のぼり

蕉翁塚の後ろの灯籠。

灯籠

灯籠

そして、灯籠の隣には、背の高いイチョウが植えられています。

イチョウ

イチョウ

西岸寺の境内は、車が何台も駐車してあり、あまりお寺らしさを感じませんが、秋が深まり、このイチョウが黄葉すると晩秋のお寺らしい景色を見せてくれそうですね。

そろそろ西岸寺から出ましょう。

西岸寺の地蔵堂は、毎週金曜日の午後1時から3時に扉が開くので、お参りするときはその日時に合わせると良いでしょう。

なお、西岸寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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