9月末。
京都市下京区の松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)に参拝しました。
松明殿稲荷神社は、七条大橋の西側に建っています。
よく目立つ場所なのですが、観光や旅行で京都に訪れた方が、当社に立ち寄ることはほとんどありませんね。
新しくなった社殿
松明殿稲荷神社には、京阪電車の七条駅から西に3分ほど歩くと到着します。
七条通に面して、石造の鳥居が立っています。
鳥居をくぐって境内へ。
正面には、もうひとつ朱色の鳥居が立っています。
いつだったか詳しい時期は忘れましたが、松明殿稲荷神社は工事が行われ、社殿が新しくなっています。
境内も、もっと雑然とした感じだったのですが、今は、朱色の玉垣に囲まれて、すっきりとしています。
それでは、朱色の鳥居の先に建つ本殿にお参りをしましょう。
松明殿稲荷神社は、伏見稲荷大社の境外末社で、田中社ともいいます。
創建は、天暦2年(948年)ですから、千年以上の歴史を持つ古い社です。
社名は、同10年に勅により燎祭が行われた際に炬火(たいまつ)殿の号を賜ったことに由来すると伝えられています。
また、江戸時代の都名所図会には、伏見稲荷大社の春の稲荷祭のとき、当社の氏子が松明をともして神輿を迎えていたことから、松明殿の名で呼ばれるようになったとも記されています。
境内の西側には、江戸時代中期の僧の木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)の銘のある手水石と井戸があります。
こちらは手水石。
そして、井戸。
木食とは、米穀を断ち、木の実を食べて修行することです。
木食上人と呼ばれたお坊さんは何人かいますが、京都では、養阿が特に有名です。
日の岡峠や渋谷峠の急坂を削って、人馬、牛馬の往来を助けたり、渇水に備え井戸を掘ったりした功績があります。
東山区の安祥院などにも、養阿の史跡が残っていますね。
ピカピカの本殿。
祭神として祀られているのは、大己貴命(おおなむちのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)です。
また、天智天皇像と大友皇子像も安置されています。
松明殿稲荷神社は、当初は黒門通塩小路辺りにあったそうです。
現在のリーガロイヤルホテル京都が建つ辺りですね。
その後、七条東洞院などを経て、宝永8年(1711年)に現在地に移転してきました。
本殿の近くに小さな末社が建っています。
入り口付近には、お地蔵さまを祀る祠もあります。
この祠の張り紙には、当社に年老いたネコが住んでいると書かれていました。
体に気を配ったエサを与えているので、ネコにエサを与えないようにとの注意書でした。
私が境内にいる間に地元の人らしき方が参拝にいらっしゃいました。
観光客が立ち寄ることは少ないですが、地元の方には親しまれているようですね。
松明殿稲荷神社社務所と刻まれた石柱が立っていましたが、社務所らしい建物は境内に見当たりません。
かつては、この石柱の辺りが社務所だったのでしょうか。
境内から出て、鴨川の流れを眺めます。
空が、秋らしくなってきていましたよ。
この後は、市比売神社に参拝します。
なお、松明殿稲荷神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。