1月8日。
京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で、青山祭が催されました。
これまで、石清水八幡宮に何度も参拝していますが、青山祭に参列するのは今回が初めてです。
夕暮れ時に催される神事
石清水八幡宮の最寄り駅は、京阪電車の石清水八幡宮駅です。
本殿に参拝するには、さらにケーブルに乗車して男山の山上に向かわなければなりませんが、青山祭は、男山のふもとに建つ頓宮殿(とんぐうでん)の前庭で行われるので、ケーブルに乗る必要はありません。
頓宮殿には、駅から南に3分ほど歩けば到着します。
普段は、一ノ鳥居をくぐって頓宮殿に行けますが、青山祭の日は、一ノ鳥居から少し南に歩いて駐車場近くにある門から頓宮殿へ向かいます。
時刻は午後4時30分。
青山祭は、午後5時から始まるので、しばらく近くの景色を見て時間を潰します。
午後4時50分頃になると、頓宮殿前で火が焚かれます。
青山祭は、頓宮殿の門の外から見るだけなのかなと思っていたのですが、門の中に入って神事に参列できました。
門の西側の回廊にパイプイスが30脚ほど置かれていたので、腰を下ろして午後5時になるのを待ちます。
石清水八幡宮は、京都と大阪の境に鎮座しており、古来から京城を疫病や災厄から防ぐ王城鎮護の社として崇敬されてきました。
いただいた式次第に記載された説明によると、青山祭は、毎年1月18日の夕刻から頓宮殿前庭に青柴垣で8角形に囲まれた斎場を設け、中央に盛られた清砂に神籬(ひもろぎ)を挿し立て、八街比古(やちまたひこ)、八街比賣(やちまたひめ)、久那斗神(くなどのかみ)をお迎えして神事を行う石清水八幡宮でも大変古い歴史を有する祭典とのこと。
また、青山祭は、清砂に挿し立てた榊の神籬に神々を迎える古式の神籬祭祀を今に伝えており、神道祭祀の源流とも称されているそうです。
神事は、修祓、降神、献饌、祝詞奏上、玉串拝礼、撤饌、昇神の順に進んでいきます。
午後5時となり、神事が始まりました。
神職の方が、斎場へと進みます。
私の位置からだと、中でどのようなことが行われているのかは見えません。
神事の間、参列者は何度か起立して低頭します。
斎場に神さまを迎えた後、数人の神職の方が斎場に向かいます。
そして、野菜、餅、鯛などの神饌を順番に斎場へと運んでいきます。
献饌が終わると、宮司の方が祝詞(のりと)を奏上します。
さらに宮司の方の玉串拝礼、神職の方の玉串拝礼、参列者の代表者の玉串拝礼と続きます。
参列者の代表者が二拝二拍手一拝するのに合わせて、他の参列者も二拝二拍手一拝。
斎場に運ばれた神饌が戻されていきます。
空はゆっくりと暗くなっていき、松明が明るく感じられるようになってきました。
撤饌の様子は、動画にも収めましたのでご覧になってください。
最後に昇神が行われ、青山祭は無事に終了しました。
青山祭の様子は、鎌倉時代の文献にも記されており、古くは疫神祭(えきじんさい)や道饗祭(みちあえのまつり)とも称されていたそうで、天下に疫病が流行らないように防ぐ疫病除けの神事として行われていました。
後に疫病除けの神事は厄除け神事として行われるようになり、石清水八幡宮の厄除け参りの起源でもある神事が青山祭であるとも言われているそうです。
ただ、青山祭は、これまでずっと行われてきた神事ではないようで、神職の方の話によると、明治維新の神仏分離令により中断したこともあったのだとか。
青山祭には神道以外の宗教の影響も見られるのが、神事中止の理由だったそうです。
でも、昭和天皇のはからいにより、再び青山祭が行われるようになり、現在まで続いているとのこと。
空はすっかり暗くなっています。
時刻は午後5時40分過ぎ。
パイプイスに置かれていたカイロをいただき、頓宮殿の前庭から出ました。
青山祭は、とても静かな神事でした。
冬の寒さもあったでしょうが、厳かな神事の最中は心身が引き締まっているように感じましたよ。
きっと厄除けのご利益をいただけたことでしょう。
冬の夕方の寒い時間帯に行われる神事ですから、青山祭に参列する際は、温かい格好で出かけてください。
なお、石清水八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。