時代祭-神幸列、白川女献花列、弓箭組列・2019年
10月26日に行われた時代祭を見に行きました。 行列は前列までが過ぎ、時代祭も大詰めです。 私は、時代祭の行列の最初の方は烏丸御池付近で見ていましたが、最後の方は京都御苑の木々が見える烏丸丸太町の交差点付近で観覧しました。
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10月26日に行われた時代祭を見に行きました。 行列は前列までが過ぎ、時代祭も大詰めです。 私は、時代祭の行列の最初の方は烏丸御池付近で見ていましたが、最後の方は京都御苑の木々が見える烏丸丸太町の交差点付近で観覧しました。
10月26日に行われた時代祭は、延暦時代の行列までが過ぎました。 これで時代祭の行列は終わりと思われている方が多いですが、実は、この後の神幸列が時代祭の主です。 明治維新時代から延暦時代までの行列は、前座のようなものなんですね。
10月26日に行われた時代祭は、藤原時代の行列までが通過しました。 藤原時代の次にやって来たのは、延暦時代の行列です。
10月26日に行われた時代祭。 私は、最初は烏丸御池で観覧していましたが、途中から烏丸通を北に進みながら時代祭の行列を見て歩きました。 鎌倉時代の行列が過ぎ、藤原時代の行列がやってきました。
10月26日に行われた時代祭を烏丸御池で観覧し、途中から北の烏丸丸太町に向かって歩きながら行列を見ました。 吉野時代の行列までが過ぎ、次にやって来たのは鎌倉時代の行列です。
10月26日に行われた時代祭を烏丸御池付近で見てきました。 室町時代の行列までが過ぎ、吉野時代の行列がやってきました。 吉野時代とは聞きなれない時代ですが、南北朝時代のことです。 南北朝時代は、後醍醐天皇の南朝、足利尊氏が擁立した持明院統の天皇を北朝として、戦いが繰り広げられた時代です。 皇族が2つに分かれる原因を作ったのは、足利尊氏だということで、彼を朝敵とする歴史観があります。 そのため、時代祭では南北朝時代と言わず、南朝があった吉野から、吉野時代とされています。