5月下旬に京都市東山区の清水寺に参拝した後、北に15分ほど歩いて大谷祖廟にもお参りをしました。
この日は、大谷祖廟に立ち寄る予定はなかったのですが、参道の前を通りがかったところ、サツキが咲き始めているのが見えて、お参りしていくことにしました。
そう言えば、大谷祖廟の近くはよく歩きますが、お参りをするのは随分と前になりますね。
参道で咲き始めたサツキ
大谷祖廟は、京阪電車の祇園四条駅から南東に15分ほど歩いた辺りに建っています。
円山公園の南隣ですね。
参道の両脇には、小さく刈り込まれたサツキが総門に向かって、一直線に並んでいます。
参道の入り口付近のサツキは、まだ咲き始めたばかりで、花数が少な目です。
つぼみが多くあったので、これから華やかになっていくことでしょう。
赤色のサツキは、割と多くの花を咲かせていましたよ。
青空の下、東山を背景に眺める大谷祖廟の参道は、人がほとんどいなくて落ち着きがあります。
ピンク色のサツキ越しに見る総門。
日当たりが良い場所のサツキは、咲き進むのが早いようです。
6月に入ると、もっと華やかになっているでしょうね。
境内の風景
総門をくぐって境内に入ります。
大きな蓮華からは、水が流れ落ち、涼感を参拝者に与えてくれます。
それでは本堂にお参りをしましょう。
大谷祖廟は、浄土真宗の開祖の親鸞聖人の廟所です。
親鸞聖人の廟所は、いくつかありますが、大谷祖廟は、東本願寺(真宗大谷派)の廟所です。
親鸞聖人は、弘長2年(1262年)11月28日に90歳で亡くなり、東山延任寺で荼毘に付されました。
その後、大谷の地に埋葬されましたが、末娘の覚信尼によって墳墓は移転され廟堂が建立されました。
これが本願寺の始まりです。
慶長7年(1602年)に東本願寺第12代教如上人が、東本願寺境内に親鸞聖人及び本願寺歴代の仮墓を造り、寛文10年(1670年)には、第14代琢如(たくにょ)上人が、親鸞聖人、第12代教如上人、第13代宣如上人の墳墓を当地に移し、大谷御坊と称しました。
元禄14年(1701年)に墳墓の改葬と本堂の建立が行われ、明治5年(1872年)に大谷管刹(おおたにかんさつ)に名称が変更されます。
その後、明治9年に大谷別院、昭和27年(1952年)に大谷本廟と改められ、昭和56年に現在の大谷祖廟に改称されました。
赤色のカエデと緑色のカエデ。
青葉に混ざって、赤色の葉があると季節が初夏なのか秋なのかわからなくなりますね。
本堂から石段を上って御廟の前にやって来ました。
御廟にもお参りをしておきましょう。
再び、本堂の近くに戻ってきました。
下の写真に写っているのは、黒鞍馬石です。
鞍馬石は、加茂七石のひとつで、左京区の鞍馬で産出されますが、黒鞍馬石は、さらに奥の花背側で掘り出し、黒い雲母成分が多く、全体に黒色をしています。
とても硬く、あまり錆が回らないのが特徴とのこと。
最近では、産量が減り、大変珍しいそうですよ。
参道のサツキを見て、本堂にもお参りを済ませたので、そろそろ大谷祖廟から出ましょう。
この後は、円山公園にサツキを見に行きます。
なお、大谷祖廟の詳細については以下のページを参考にしてみてください。