10月22日に行われた時代祭。
室町時代の行列が過ぎた後は、吉野時代の行列が登場します。
吉野時代
吉野時代を聞きなれない方もいらっしゃると思いますが、この時代は一般的に南北朝時代と呼ばれています。
時代祭は明治時代から始まった祭りで、この頃は南北朝時代に後醍醐天皇と争った足利尊氏を反逆者とする歴史観が強かったですから、後醍醐天皇の吉野朝(南朝)を行列の名としたのでしょうね。
吉野時代で最初にやってきたのは、楠公上洛列です。
元弘3年(1333年)に隠岐に流されていた後醍醐天皇が還幸する際、楠木正成が兵庫まで迎えに行きました。
楠公上洛列は、その時の状況を再現したものです。
こちらの騎馬武者が楠木正成です。
続いてやって来たのは、正成の弟の正季(まさすえ)です。
正成も正季も、甲冑がとても重たそうですね。
続いてやって来たのは、中世婦人列です。
先頭は、大原女(おはらめ)。
中世には、京都市左京区の大原の女性が、頭に薪を乗せて京都の町で売り歩いていました。
そして、こちらは桂女(かつらめ)です。
京都市西京区の桂の女性が、桂川で採れたアユなどを京都の町に売りに来ていました。
傘をさして歩いているのは、豊臣秀吉の側室の淀君です。
見るからに貴婦人といった感じです。
笠で顔が隠れている女性は、藤原為家の室です。
阿仏尼とも呼ばれる女性で、十六夜日記の作者として知られています。
中世婦人列の最後は、静御前。
静御前は、源義経の妻ですね。
義経と不仲の兄・頼朝の前で、義経を慕った舞を演じたことから怒りを買いましたが、頼朝の妻の北条政子がなだめて事なきを得たと伝えられています。
鎌倉時代
吉野時代の次は、鎌倉時代です。
鎌倉時代の行列は、城南やぶさめ列だけです。
承久3年(1221年)。
後鳥羽上皇は、朝廷の権威を回復するため、鎌倉幕府を倒すことを計画します。
その際、城南離宮にやぶさめを行うことを口実に各国から武士を集めます。
城南やぶさめ列は、その時の様子を再現したものです。
列の後ろには、やぶさめの的を持った人々が続きます。
結局、後鳥羽上皇の計画は鎌倉幕府に漏れ、反乱は鎮圧されます。
鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇側を行列に登場させている辺りも、明治時代の風潮なのでしょうね。
この後は、藤原時代の行列が登場します。
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