1月中旬に京都市東山区の大谷本廟に参拝した後、五条坂の途中に建つ安祥院にもお参りをしました。
安祥院は、清水寺に行く道沿いにあるのですが、参拝者は少ないです。
茶碗坂との分かれ道にあり、多くの観光客や旅行者がそちらへと進むので、安祥院に立ち寄る人が少ないのかもしれませんね。
木喰正禅養阿の遺跡
安祥院の最寄り駅は、京阪電車の清水五条駅です。
駅からは、東に徒歩約10分です。
安祥院の山門前に到着。
この日も、参拝者の姿が見えません。
山門の前には、幕末の勤王の志士梅田雲浜のお墓が当院にあることを示す石柱が立っています。
梅田雲浜は、井伊直弼の安政の大獄で捕えられて亡くなっています。
彼の活動拠点が京都だったこともあり、市内には他にも梅田雲浜の史跡が残っています。
山門をくぐると正面に本堂が建っているので、お参りをしましょう。
安祥院は、天慶5年(942年)に乙訓郡大藪村に創建された護国寺が始まりというので、とても長い歴史を持つお寺です。
当初は天台宗のお寺でしたが、後に浄土宗の蓮寂が念仏道場とし、名を安祥院に改め再興しました。
また、享保10年(1725年)には、木喰正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)上人が衰退していた当院を中興しています。
本堂には、養阿上人自作の阿弥陀如来像が祀られていますよ。
養阿上人は、阿弥陀仏の霊感を受け六阿弥陀仏巡礼を発願しました。
功徳日詣りを3年3ヶ月怠らずに行えば、無病息災、家運隆昌、諸願成就(学業成就・交通安全)の功徳を受けることができ、また、有縁無縁の精霊の追善回向を行えば自らの往生安楽も叶えられるそうです。
安祥院の境内には、養阿上人自筆の「大日三尊 光明真言碑」があります。
上の石碑の隣には、西京極の佃橋から移された橋桁石もありますよ。
こちらは養阿上人が、山科区の日ノ岡峠の道普請の際に轍(わだち)を彫るために使用した車石です。
日ノ岡峠には、今も、養阿上人の遺跡がいくつか残っていますよ。
マンリョウとセンリョウ
境内の西側に建つ地蔵堂には、日限地蔵(ひぎりじぞう)さまが祀られています。
参拝者が日数を決めて祈願すれば願い事がかなうと伝えられています。
参道脇では、冬らしくマンリョウが赤い実をつけていました。
こちらは黄色い実をつけたセンリョウ
黄色いマンリョウもありましたよ。
何となく赤いマンリョウよりも実が固そうに見えます。
境内のマンリョウもセンリョウも、それほど多くはありませんでしたが、冬の安祥院に彩りを添えてましたよ。
なお、安祥院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。