7月17日に河原町御池で祇園祭前祭(さきまつり)の山鉾巡行を見た後、河原町通を四条に南下しながら残りの山鉾を観覧しました。
山鉾巡行は、1ヶ所に立ち止って見ると2時間くらいかかります。
でも、自分から山鉾巡行と逆行して歩けば、かなりの時間短縮になるんですよね。
綾傘鉾
河原町御池と河原町三条の間を綾傘鉾(あやがさほこ)の行列が進んでいました。
綾傘鉾は、他の山や鉾とは趣を異にします。
赤色の傘を持った行列が前を進み、その後ろを2基の綾傘が進みます。
綾傘鉾を見ていると、まるで葵祭か時代祭の行列が山鉾巡行に混ざり込んできたような印象を受けますね。
綾傘鉾には、棒振り囃子と呼ばれる赤熊を被った棒振りも登場します。
鉦、太鼓、笛に合わせて踊る棒振り囃子に歩道から盛大な拍手が贈られます。
目を隠しているのに器用に踊れるものですね。
蟷螂山
こちらは蟷螂山(とうろうやま)です。
前祭の山鉾の中でも人気がありますね。
その理由は、山の上に載っているカマキリが、鎌を振ったり、羽根を羽ばたかせたりするからです。
「とうろうやま」と呼ぶ人よりも「かまきりやま」と呼ぶ人の方が多いのではないでしょうか。
菊水鉾、白楽天山、郭巨山
河原町三条までやってきました。
ここでは、菊水鉾がゆっくり前進中。
やっぱり山よりも鉾の方が迫力がありますね。
こちらは白楽天山。
山の上では、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う場面が再現されています。
学問成就や厄除のご利益を授けてくれる山ですよ。
河原町三条から南に進みましょう。
向こうから郭巨山(かくきょやま)がやってきました。
中国の史話「二十四孝」のひとりである郭巨の故事を題材にした山です。
貧困のあまり母と子を養うことができず、思い余って我が子を山へ埋め捨てようとしたところ、黄金の釜を掘り当て母親光孝をしたのだとか。
ご利益は金運開運です。
保昌山、放下鉾
四条河原町に近づいてきました。
写真に写っているのは、保昌山(ほうしょうやま)の行列です。
平井保昌が、和泉式部のために紫宸殿前の紅梅を手折ってくる姿をあらわしています。
明治初年までは、花盗人山と呼ばれていたそうですよ。
雄大な放下鉾(ほうかほこ)の登場です。
屋根の上に伸びる真木の天王座に放下僧の像を祀っています。
屋根の下からは、稚児舞ができる操り人形の姿が見えますね。
この人形は、久邇宮多嘉王殿下より「三光丸」と命名されたそうです。
ちなみに放下鉾の鉾頭は、日、月、星の3つの光が下界を照らす形をしています。
そろそろ四条河原町の交差点。
ここで残る鉾の辻まわしを見ましょう。