酒蔵がたくさん立ち並んでいることで有名な京都市伏見区。
歴史的には、幕末に様々な事件が起こった地として知られていますね。
寺田屋事件、鳥羽伏見の戦いなどは、明治維新に大きな影響を与えています。
また、伏見の寺田屋は、寺田屋事件の他に坂本竜馬がよく宿泊した船宿としても有名です。
坂本竜馬襲撃事件
坂本竜馬は、慶応2年(1866年)1月に薩長同盟を締結した後も寺田屋に泊まっていました。
明治維新は、坂本竜馬と中岡慎太郎が成し遂げた薩長同盟があったからこそ実現したと言えます。
1月24日未明。
伏見奉行所の役人たちが、突如、寺田屋を襲撃します。
この頃、坂本竜馬はテロリストとして幕府から目を付けられていました。
寺田屋に踏み込んできた奉行所の役人たちに坂本竜馬はピストルで応戦。
一緒に宿泊していた三吉慎蔵も、槍で役人たちと戦います。
しかし、竜馬は、両手を負傷し応戦できない状況になりました。
竜馬は三吉慎蔵に肩を借りて、裏口から逃走します。
材木小屋に隠れる坂本竜馬
両手から多量に出血する竜馬は、役人たちの目をくらますために材木小屋に隠れます。
そして、三吉慎蔵に薩摩藩邸に人を呼んでくるように頼みました。
私は、薩摩藩邸って、京都市上京区の今出川の藩邸のことかと最初は思ったものです。
そんな遠くまで応援を呼びに行ってたら、竜馬を助けることはできません。
でも、三吉慎蔵が向かった薩摩藩邸は伏見の藩邸です。
なので、竜馬の危機を報せるのにそれほど時間はかからなかったでしょう。
ただ、薩摩藩邸には、後に竜馬の妻となるお竜が先に駈け込み緊急事態発生を伝えていたので、三吉慎蔵は慌てて薩摩藩邸に向かうことはなかったのかもしれません。
京阪電車の伏見桃山駅から西に歩き、大手筋の商店街を抜けると濠川が現れます。
その濠川に架かる橋の北西に「坂本龍馬、避難の材木小屋跡」と刻まれた石碑が置かれています。
徒歩約10分ですね。
坂本竜馬が実際に避難した材木小屋は、ここから南東に約50メートルほど歩いた辺りにあったようです。
ちなみに上の写真に写っている石碑が置かれたのは、平成21年(2009年)12月のことです。
比較的新しい石碑なので、見た目もきれいですね。
坂本竜馬は、薩摩藩邸で1月29日まで滞在した後、お竜とともに鹿児島に旅立ち、霧島温泉で傷の治療をしました。
これが、日本最初の新婚旅行と伝えられていますね。