人臣最初の摂政となった藤原良房の邸宅があった染殿第跡
京都市上京区にある京都御苑は、江戸時代以前は公卿の邸宅がたくさん建ち並んでいました。 現在では、京都御苑を代表する建物は、京都御所や仙洞御所などが一部残っているだけです。 公卿の邸宅があった地には、それを示す立札や石碑がありますが、建物はほとんど残っていません。 京都御苑内の北東には、かつて藤原良房の邸宅「染殿第」がありましたが、こちらも他の邸宅跡と同じく建物は残っていませんね。
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京都市上京区にある京都御苑は、江戸時代以前は公卿の邸宅がたくさん建ち並んでいました。 現在では、京都御苑を代表する建物は、京都御所や仙洞御所などが一部残っているだけです。 公卿の邸宅があった地には、それを示す立札や石碑がありますが、建物はほとんど残っていません。 京都御苑内の北東には、かつて藤原良房の邸宅「染殿第」がありましたが、こちらも他の邸宅跡と同じく建物は残っていませんね。
京都府八幡市の男山に鎮座する石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、その名の通り、清らかな水が湧き出ることで知られています。 神社の起源は、男山山中から湧き出る清泉を神として祀ったことと伝えられており、貞観年間(859-876年)に奈良大安寺の行教が、宇佐八幡神を勧請(かんじょう)し、石清水八幡宮と称するようになりました。
5月も下旬になると、京都の各地でサツキが見ごろを迎えます。 京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)でも、神苑でサツキが見ごろを迎えているようだったので参拝することに。 30度を超える暑い日でしたが、男山に登ってきましたよ。
京都市伏見区の鳥羽に建つ城南宮は、平安時代後期に院政の舞台となった鳥羽離宮があった地です。 鳥羽離宮は、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇といった歴代の上皇と深いかかわりがあります。 これらの上皇は、熊野詣が大好きで、4人の上皇を合わせると90回ほど熊野に参詣しています。 そして、これら上皇の熊野御幸の出立の地となったのが、現在、城南宮が建つ鳥羽だったのです。
京都には、多くの天皇陵があります。 その中でも、伏見区の鳥羽にある天皇陵ほど歴史的に興味がわく天皇陵はないでしょう。 地下鉄竹田駅の南東にある白河天皇成菩提院陵(しらかわてんのうじょうぼだいいんのみささぎ)、鳥羽天皇安楽壽院陵(とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ)、近衛天皇安楽壽院南陵(このえてんのうあんらくじゅいんのみなみのみささぎ)は、平安時代後期の院政時代の天皇が埋葬されています。 まさに院政が行われた鳥羽の地にふさわしい天皇陵と言えます。
天正10年(1582年)6月2日。 この日は、織田信長が京都の本能寺で明智光秀によって自害に追い込まれた本能寺の変が起こった日です。 本能寺は、現在も京都市中京区の寺町御池に残っていますが、事件が起きた時とは違う場所にあります。 でも、境内には、織田信長のお墓があり、参拝者は誰でもお参りできます。
5月中旬に京都市中京区にある行願寺に参拝してきました。 行願寺は、寺町二条の街中にあるお寺で、西国第19番札所に指定されています。 周りには、お茶や食器などの品々を扱っているお店が多く、この辺りを歩いているだけでも京都らしさを感じることができるので、旅行や観光で京都を訪れた時には立ち寄って欲しいですね。
5月中旬に京都市中京区の下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)に参拝してきました。 下御霊神社は、非業の死を遂げた人々の怨霊を祀っている神社です。 怨霊と聞くと何か恐ろしいような感じですが、神社に祀ったことで御霊となり、災いから人々を守ってくれています。 なので、怖いということはないんですね。 そろそろ境内の木々にたくさんの青葉がついている頃。 きっと初夏らしい景色になっていることでしょう。
5月中旬。 京都市上京区の廬山寺(ろざんじ)に参拝してきました。 この時期の廬山寺は、カエデの新緑が美しく、境内は初夏らしい景色となっています。
5月中旬に京都市上京区の清浄華院(しょうじょうけいん)にお参りしてきました。 清浄華院は、浄土宗四ヵ本山のひとつに数えられています。 清浄華院の境内は、それほど四季折々の草花を楽しめるということはないのですが、たまたま近くを通りかかったので参拝していくことにしました。