京都市内には、他の地域では見ない住所の表記があります。
きっと、遠方から京都にお越しになった方は、この住所表記を初めてみた時、戸惑ったのではないでしょうか。
その住所表記とは、「上ル(あがる)」「下ル(さがる)」「入ル(いる)」です。
京都府民でも、京都市内に住んでいなければ、これらの表記を見ただけでは、どのあたりのことなのかピンと来ないのですが、意味を覚えてしまうと、この住所表記の方が一般的な表記よりも便利に思えるんですよね。
北に行くのが「上ル」で南に行くのが「下ル」
まず、「上ル」と「下ル」について解説します。
京都では、北に行くことを「上ル」と言い、南に行くことを「下ル」と言います。
こういった表現は何も京都に限ったことではありません。
例えば、電車の場合、東京に向かう便を「上り(のぼり)」と言いますし、反対に東京から離れる便を「下り(くだり)」と言いますよね。
「上ル」と「下ル」もこれとほぼ同じだと考えてもらえば結構です。
昔は、平安京の内裏が北にありました。
だから、内裏の方向、つまり北に向かうことを「上ル」と言い、内裏から南に向かうことを「下ル」と言ったんですね。
これは、先ほども述べたように東京に向かうことを「上る」と言い、離れることを「下る」というのと同じ発想です。
しかし、ここでちょっとした疑問が浮かんできます。
内裏に向かうことを「上ル」と表記するのなら、内裏より北の地域になると、南に行くことを「上ル」、北に行くことを「下ル」と表さなければなりません。
例えば、大徳寺は内裏よりも北にありますから、この辺りは南に行くことを「上ル」と言わなければなりませんが、そのようなことはなく北行きを「上ル」、南行きを「下ル」と言います。
そうなると、内裏に向かうことを「上ル」、離れることを「下ル」という説は違うのかもしれません。
内裏説が違うのなら、他に考えられるのは、北高南低説です。
京都は南よりも北の方が高い位置にあります。
なので、北に行くことは、低いところから高いところに上がることになるので北行きは「上ル」となり、北から南に向かうことは高いところから低いところに下りていくことになるので「下ル」となります。
私は、こちらの説の方がしっくりと来るのですが、一般的なのは内裏説のようですね。
「入ル」は東西の表記
次に「入ル」について解説します。
使い方は、東入ルや西入ルですね。
つまり、東に行くことを「東入ル」、西に行くことを「西入ル」と言います。
この言い回しは、東西に限ったもので、「北入ル」や「南入ル」とは言いません。
そんなこと誰が決めたんだと思ってしまいますが、京都の慣習として定着したものなので、そういったものなんだと割り切りましょう。
「上ル」、「下ル」、「入ル」の使い方を覚えたところで、具体的な住所表記を見てみましょう。
京都市上京区に建つ晴明神社の住所は、「上京区堀川通一条上ル」です。
上京区の後には、南北を貫く堀川通がきます。
しかし、これだけだと上京区内の堀川通の北から南までを意味することになります。
これでは、晴明神社が堀川通沿いにあるということしかわかりません。
そこで、東西を走る一条通を住所表記に入れます。
「一条上ル」というのがそれです。
これで、晴明神社の所在地がわかります。
晴明神社が堀川通沿いにあることを最初に示しておき、次にそれと交差する一条通の北側にあることを示すために「一条上ル」と表記するだけで、その所在地が簡単にわかります。
上京区という表記がなくても問題ありませんね。
碁盤の目に区画されているから可能な住所表記
京都の住所をこのように表記できるのは、平安京が碁盤の目状に区画されていたからです。
堀川通が南北にまっすぐに通っておらず途中で東や西に折れていたり、一条通が途切れていたりしたら、このような住所表記はできません。
東西南北を碁盤の目に区画した都市開発を条坊制といいます。
京都の場合、南北を貫く大路は、一番東の東京極大路から一番西の西京極大路まで11本ありました。
また、東西を走る大路は一番北の一条大路から九条大路まで13本あります。
大路の他には小路もあり、南北22本、東西26本ありました。
これらの大路小路の名称は、以前とは変わっています。
例えば、平安京の中央を南北に貫いていた朱雀大路は、現在では千本通となっていますね。
「上ル」、「下ル」、「入ル」といった住所表記は、京都市内ならどこにでもあるのかというと、そんなことはありません。
伏見区では、このように表記されている地名を見たことがないです。もしかしたら存在するのかもしれませんが、私は今までに見たことがありません。
伏見区は、以前は伏見市だったので、「上ル」、「下ル」、「入ル」といった住所表記をしないのだと思います。
また、以前の平安京内にあった地域だけ「上ル」、「下ル」、「入ル」といった住所表記をするのかなと思っていましたが、どうやら違うようです。
例えば、鴨川より東にある東山区は、平安京の外だったのですが、現在の地名に「上ル」、「下ル」、「入ル」が使われているところがあります。
高台寺の所在地は「京都市東山区下河原町通八坂鳥居前下ル下河原町592」ですし、建仁寺の所在地は「京都市東山区大和大路通四条下ル小松町584」です。
こうやって見てみると、「上ル」、「下ル」、「入ル」といった表記は、為政者によって強制されたものではなく、その地域に暮らす人々が自分たちがわかりやすいように使ったものなのかもしれませんね。