京都には多くの天皇陵があります。
天皇陵と聞くと、広大な土地に埋葬されているといった印象があります。
でも、ほとんどの天皇陵が街中の一角にひっそりと残っているだけなんですよね。
それでも宮内庁が管理しているので、荒廃することはありません。ただ、王家の墓にしてはちょっと寂しいなと思えるものばかり。
しかし、京都市伏見区の桃山にある2つの天皇陵は、他の京都の天皇陵とは違い、とても大きい陵墓です。
ひとつは桓武天皇のもので、もうひとつは明治天皇のもの。
どちらも立派な天皇陵なので、一度は訪れておきたいところです。
桓武天皇柏原陵
まずは、桓武天皇の陵墓へ。
近鉄丹波橋駅、もしくは京阪丹波橋駅から東に約1km歩いたあたりに木々が鬱蒼と茂る一帯が現れます。
そこが、桓武天皇柏原陵(かんむてんのうかしわばらのみささぎ)です。
桓武天皇柏原陵の敷地内に入ると、そこからは周囲の民家が全く見えません。
さすが京都に都を遷した天皇の陵墓ですね。とても立派です。
桓武天皇は、第50代天皇です。
都を奈良から長岡京に遷し、その10年後に平安遷都を行って、京都1200年の歴史の基礎を造ったのが桓武天皇。
陵墓が、これだけ大きいのにも頷けますね。
桓武天皇が平安遷都を行った前後に、たびたび事件が起こっていたことから想像すると、都を京都に遷すことには多くの困難を伴っていたはずです。
その困難を乗り越えたからこそ、今日の京都の発展があるのでしょう。
明治天皇伏見桃山陵
桓武天皇柏原陵の南東には、明治天皇伏見桃山陵(めいじてんのうふしみのももやまのみささぎ)があります。
こちらは、桓武天皇柏原陵よりもさらに大きいです。
陵の西側に参道の入り口があり、ここからまっすぐ進めば陵墓に行けます。
他にも南から陵墓に向かう方法もありますが、そちらを選ぶと最後に鬼のような石段を登らなければならないので、西側の参道から入った方が良いでしょう。
大きな大きな明治天皇伏見桃山陵。
ここは、もとは豊臣秀吉の居城伏見城の本丸があった場所です。
東西127メートル、南北155メートルもある陵墓は圧巻です。
まるで桃山の山上から京都の街を見守っているかのよう。
明治天皇は第122代天皇で、都を京都から東京に遷した天皇として有名ですね。
東京遷都の後、京都は衰退したので、当時の京都の人々はもしかしたら明治天皇に良い印象を持っていなかったかもしれません。
京都に明治天皇の陵が造営されたのは、明治天皇の遺言によるものだとされています。
なぜ、東京ではなく京都に埋葬されることを明治天皇が望んだのかはわかりません。
きっと、東京ではなく京都でなければならない理由があったのでしょうね。
ちなみに明治天皇伏見桃山陵の南には、天皇の後を追って殉死した軍神乃木希典(のぎまれすけ)を祀る乃木神社が建っています。
昭憲皇太后伏見桃山東陵
明治天皇伏見桃山陵の東には、その皇后であった昭憲皇太后の陵墓があります。
こちらも立派な陵です。
歴代天皇のものよりも広大であることから、近代における明治天皇と昭憲皇太后の存在が、国民にとって、いかに大きなものであったかがわかりますね。
京都に都を遷した桓武天皇。
都を京都から東京に遷した明治天皇。
遷都を行った両天皇の陵が、近くにあるというのは興味深いですね。