京都の中心はどこかと、京都に住んでいる方に聞けば、おそらく頂法寺と答えることでしょう。
頂法寺なんて聞いたことがないという人もいらっしゃるでしょうが、このお寺は、別名を六角堂といいます。
六角堂なら聞いたことがあるのではないでしょうか。
京都市中京区に建つ本堂が六角形のお寺ですね。
へそ石は六角通にあった
六角堂の本堂は、近くのビルから見下ろすことができ、六角形をしていることを確認できるので、参拝した時には、ついでに見ておくと良いでしょう。
さて、六角堂が京都の中心とされるのは、境内にへそ石と呼ばれる石が埋まっているからです。
下の写真に写っているのがへそ石です。
へそ石も本堂と同じく六角形をしています。
その周りを囲んでいる石たちも、その集まりが六角形になるように配置されていますね。
このへそ石が、京都の中心だと古くから伝えられてきたのですが、へそ石は以前からこの場所にあったわけではありません。
実は、明治10年(1877年)まで、へそ石は六角堂の門の前を走る六角通の真ん中に置かれていたのです。
ところで、なぜへそ石は、六角堂の境内に移されたのでしょうか。
その答えは、高野澄さんの「京都の謎 伝説編」に書いてあるので、以下に引用します。
通るのが人と大八車ぐらいなら、道の真ん中にヘソ石がでーんとすわっているのも愛嬌だが、自動車が通るとなってはそうもいかず、お寺の脇門の中へ移した。それが今の場所である。(中略)
だが、石のそばで遊ぶ子供たちがつまずいて怪我をするので、昭和になって敷石のなかに埋め込んだ。
つまり、明治10年までは、今よりも少し南にへそ石があり、そこが京都の中心だったんですね。
ということは、今のへそ石の位置は微妙に京都の中心からずれているということになります。
また、今は、へそ石は地面に埋め込まれていますが、以前は地面から顔を出していたので、子供たちがつまずいて怪我をしていたようですよ。
へそ石は何の目的で置かれたのか
へそ石が、京都の中心から少しずれていることはわかりました。
でも、昔の人は、京都の中心を示すためにへそ石を置いたのでしょうか。
有力なのは、聖徳太子が建立した観音堂の礎石とする説です。
でも、礎石なら6個あったはずなのに1個しかないということは違うのかもしれません。
他におもしろい説として、六角堂が自ら動いて移動した時に礎石を1個置き忘れていったとするものがあります。
その昔、東西に走る小路を造ることが計画されていました。
でも、いざ工事を始めてみると、六角堂にぶつかってしまうことがわかりました。
そこで、桓武天皇から勅使が派遣され、六角堂にどうか南北いずれかに少し動いてくださいとお願いしたところ、お堂が勝手に北に移動したというのです。
その際、礎石を1個だけ、元の場所に置き忘れました。
それが、へそ石だと伝えられているんですね。
果たしてどちらの説が正しいのでしょうか。
お堂が勝手に動くわけないと考えれば、聖徳太子の観音堂説が正しそうです。
でも、道路工事の際に何らかの理由で礎石を移動できなかったのではないかとも考えられます。そう考えると、六角堂の礎石のひとつとする説も成り立ちますね。
考え出すと気になって眠れなくなるので、このあたりで終わりとしましょう。
なお、六角堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。