平安京の大内裏は南北中心線と東西の線を結んだ中心点に建っていた
平安京は、四神相応の地に造営された都です。 四神相応の地というのは、北に玄武、東に青竜、南に朱雀、西に白虎という四方を守る神がいる地形のことです。 これを平安京に当てはめると、北は船岡山、東は鴨川、南は巨椋池(おぐらいけ)、西は山陰道に囲まれており、まさに四神相応の地だったわけです。 そして、平安京の中心をなす大内裏(だいだいり)の位置は、風水の思想によって決定されたといわれています。
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平安京は、四神相応の地に造営された都です。 四神相応の地というのは、北に玄武、東に青竜、南に朱雀、西に白虎という四方を守る神がいる地形のことです。 これを平安京に当てはめると、北は船岡山、東は鴨川、南は巨椋池(おぐらいけ)、西は山陰道に囲まれており、まさに四神相応の地だったわけです。 そして、平安京の中心をなす大内裏(だいだいり)の位置は、風水の思想によって決定されたといわれています。
延元3年(1338年)5月の北畠顕家の戦死と7月の新田義貞の戦死で、南朝は大きな打撃を受けました。 すでに楠木正成も名和長年もこの世にはいないので、南朝の主だった武将はほとんどいなくなりました。 そのような中、延元4年8月16日に後醍醐天皇もこの世を去りました。
延元2年(1337年)12月。 東北を出発した北畠顕家は、足利義詮(あしかがよしあきら)がいる鎌倉を攻略し、そのまま一気に吉野に向かって進軍しました。 しかし、青野ヶ原で足利軍と戦って伊勢に敗走、その後も般若坂で敗北し、顕家は行方知れずとなります。
京都市中京区の下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)の境内からは、名水が湧き出ています。 その名も下御霊神社の御香水です。 この御香水を汲ませていただくために1月中旬に下御霊神社に参拝してきました。
京都には、名水が湧き出る名所がたくさんあります。 京都市上京区の菅原院天満宮神社もそのひとつですね。 菅原院天満宮神社には、何度もお参りをしているのですが、いつもペットボトルを持参しておらず、名水を汲まずにいました。 一度は名水を汲んで飲んでみようと思っていたので、1月中旬に初詣を兼ねて、菅原院天満宮神社を訪れました。
1月中旬に京都市中京区の新京極通を歩いていると、安養寺の入口が開いているのに気づきました。 普段は、あまり開いているのを見ないお寺なので、ちょっとお参りをしていくことにしました。
京都市中京区に錦天満宮という神社があります。 新京極通の南の方にあるこの神社は、学問の神様の菅原道真が祀られています。 新京極は、修学旅行生がお土産をよく買う繁華街なので、錦天満宮の境内でも学生の方をよく見かけますね。 やはり、合格祈願のために参拝しているのでしょうか。 1月中旬。 私は受験生ではありませんが、頭が少しでも良くなるようにと錦天満宮にお参りしてきました。
1月中旬。 少しずつ京都の町から正月気分が抜け始めている頃、東山区の八坂神社を訪れました。 特に目的はなかったのですが、近くを通りかかったので、ちょっと覘いてみようと境内に入ることにしました。
1月17日の初観音の日に京都市中京区の行願寺にお参りしてきました。 行願寺は、京都御苑の南東にあるお寺で、普段は、人が少なく静かなお寺です。 なので、心静かに観音さまにお参りできて、参拝後は、すがすがしい気持ちになれることでしょう。
1月17日は、観音様にお参りをする初観音。 京都の観音さまを祀っているお寺には、多くの方が参拝に訪れます。 京都市中京区の六角堂の名で親しまれる頂法寺にも観音さまが祀られています。 京都の町中に建つお寺なので、交通の便がよく、仕事の合間に立寄ってお参りしやすいところです。