東山三条の交差点を北に3分ほど歩いた辺りに寂光寺というお寺が建っています。
境内は割と広めですが、交通量の多い東大路通に面していないせいか、あまり知られているお寺ではありません。
私もこの辺りは、よく歩くのですが、寂光寺の存在に気付いたのは、最近のことです。
偶然通りかかったら、寂光寺があったので、ちょっとだけお参りしていくことにしました。
本因坊の石碑
東大路通から仁王門通を西に入って少し進むと、寂光寺の入口があります。
北向きに開かれた門の前に寂光寺の説明書があったので読んでみることに。
寂光寺は、顕本法華宗のお寺で、天正6年(1578年)に日淵が創建したのが始まりとのこと。
当初は、現在の上京区にあり久遠院(くおんいん)と称していたそうです。
その後、中京区の寺町二条に移り、さらに江戸時代中期に現在地に移転してきたということです。
山門をくぐり境内に入ります。
広い境内には私一人だけ。
まずは本堂にお参り。
と思ったのですが、賽銭箱がありません。
鐘もないですね。
仕方ないので、軽くお辞儀するにとどめました。
境内の北側の建物は工事中のようです。
お寺の建物なのかどうかはわかりませんが、白い布のようなもので建物全体が覆われていました。
その工事中の建物の近くに「第一世本因坊報恩塔」と刻まれた石碑があるのを発見。
先ほどの説明書によれば、寂光寺の2世の日海が寺内塔頭(たっちゅう)の本因坊に住み、本因坊算砂と称していたそうです。
算砂は、囲碁の名人で、当時、敵がいないほど強かったとのこと。そのため、織田信長から名人の名を贈られたということです。
算砂は、その後も豊臣秀吉や徳川家康にも囲碁を教え、本因坊の名は碁界家元の地位を持ち、優れた技量を持った者が襲名継承することとなりました。
なお、本因坊は、4世道策の時に江戸に移っています。
寂光寺には、本因坊の算砂、算悦、道悦の墓があり、寺宝として算砂の画像や近衛家から拝領した唐桑(からくわ)の碁盤が伝わっているということです。
こういった宝物が公開されることがあれば、見ておきたいですね。
本因坊と言えば、寂光寺から西に進み、鴨川を渡って、二条寺町を北に少し歩いた辺りの歩道の脇に碁盤が置かれていますね。
ここが本因坊発祥の地です。以下の過去記事でも紹介していますのでご覧になってください。
何気なく立ち寄った場所に史跡があるというのが、京都散策の楽しいところですね。