京都市中京区の壬生寺(みぶでら)にお参りをした後、近くに建つ梛神社(なぎじんじゃ)にも立ち寄りました。
梛神社は、壬生寺から阪急大宮駅に向かう途中にあるので、ついでにお参りをするには、ちょうど良い立地です。
四条通に面しているため、人の出入りが多そうな神社なのですが、意外と参拝者はまばらで、のんびりとお参りすることができます。
祇園祭で使われた御供石
神社の説明書によると、梛神社の創建は、貞観11年(876年)です。
この頃、京都で疫病が流行したため、牛頭天王(ごずてんのう)を播磨国広峰から勧請(かんじょう)し、鎮疫祭を行いました。
その時、神輿を梛の林の中に置いて祀ったと伝えられています。
後に心霊を現在の八坂神社に遷し、当地の住民が花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送ったのが、現在の祇園祭の始まりということです。
当社が、元祇園社(もとぎおんしゃ)とも呼ばれるのは、八坂神社の古址にあたることが理由です、ちなみに八坂神社は以前は祇園社と呼ばれていました。
境内に入ると、2つの社殿が仲良く東向きに建っています。
下の写真の左に写っているのが梛神社で、右側は隼神社(はやぶさじんじゃ)です。
隼神社は、延喜式内社で大きな神社だったそうです。
以前は、蛸薬師(たこやくし)坊城に建っていたのですが、大正7年(1918年)に現在地に移されました。
両者ともに厄除、疫病払いの神さまということなので、風邪やインフルエンザが流行りだす頃にはお参りしておきたいところです。
境内の東の端には、朱色の社もあります。
こちらはお稲荷さんなので、商売繁盛のご利益を授かることができます。
北側には小さな祠(ほこら)がありました。
何か意味がありそうですが、説明書などはなかったので、どういったものなのかはわかりません。
小さな祠(ほこら)の近くには、御供石(ごくいし)と呼ばれる大きな石が置かれていました。
御供石は、祇園祭の時に神饌を置き、神さまに供えた石だそうです。
もとは、下京区御供石町にあったのですが、昭和7年(1931年)に町内の人たちによって梛神社境内に運ばれたということです。
現在の祇園祭は、山鉾が四条通を練り歩きますが、梛神社の近くまで来ることはありません。
梛神社は、祇園祭の起源を伝えるだけとなっているようで、ちょっと寂しいものがありますね。
なお、梛神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。