京都市東山区に清水寺へと続く清水坂があります。
清水坂を少し上がると北に向かう細い道が現れます。
今まで清水寺界隈は何度も散策したことがあったのですが、この北に向かう細い道は歩いたことがなかったので、どんな通りになっているのか興味がわいてきました。
もちろん細い道をまっすぐに北に向かって歩きました。
しばらく歩くと、左手に大漸寺(だいぜんじ)という小さなお寺が建っているのに気づきました。
洛東の柘榴寺
下の写真に写っているのが、大漸寺です。
大体、このような小さなお寺の場合、どのようなお寺なのか、外から見ただけではわからないのですが、大漸寺には、住職の方による由緒書が入口付近に立っていました。
由緒書を読んでみると、大漸寺は、寛保4年(1742年)に日啄(にったく)に師事していた日逢(にちおう)が創建した日蓮宗のお寺だそうです。
日逢は、千葉県の中山の法華経寺の大験者で、時の天皇から「祈祷所」の宸筆の額を賜ったほどのお坊さんだとか。
以前は、大漸寺から南にある松原通に日逢が建てた鬼子母神堂があり、昭和20年(1945年)頃まで、線香が絶えなかったほど、篤い信仰を受けていたと言い伝えられています。
鬼子母神堂には、昔からザクロを供える風習があり、当寺の東には数本のザクロの木が植えられていたことから、柘榴寺(ざくろでら)とも呼ばれていたそうです。
平成14年(2002年)には、日蓮宗開宗から750年、当寺創建から300年を記念して、当地にザクロの木が植えられました。
お寺の外からだと、どれが、そのザクロの木なのかわかりませんでしたが、境内のどこかに植えられているのでしょう。
- 大漸寺の地図
5歩で渡れる霊山橋
大漸寺の近くには、とても短い橋が架かっています。
この橋は、霊山橋(りょうぜんばし)というそうです。
大漸寺の説明書によると、どちらから渡っても、霊山領土(迷いのない世界)へ5歩で渡れるそうです。
渡る前に「南無(なむ)」と唱え、「妙法蓮華(みょうほうれんげ)」と進み、5歩目で「経(きょう)」と唱えて渡りきるようです。
全部続けると「南無妙法蓮華経」となるわけですね。
霊山橋ができたのは、大正11年(1922年)のことで、鉄筋コンクリート製です。
下を人が通れるようになっている橋としては、かなり古いものだそうです。
「ここより古い橋があったらご一報ください」と書かれていたので、もしかしたら下を人が通れる橋としては、日本で最も古いのかもしれませんね。
霊山橋の近くからは、八坂の塔を望むことができます。
以前は、八坂の塔周辺は、それほどきれいな景色とは思わなかったのですが、電線が無くなったことで、風情のある景観に変わりました。
上の写真は、大漸寺とは別の場所から撮影したものです。
やっぱり東山の街並みには、五重塔が似合いますね。
- 八坂の塔の詳細