京都市右京区に愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)というお寺が建っています。
右京区に愛宕念仏寺が建ったのは、大正11年(1922年)です。
歴史のありそうなお寺なのですが、意外と新しいんですね。
千二百羅漢も最近造られたもの
愛宕念仏寺が建っているのは、嵯峨野の北です。
嵯峨野は観光客の方で賑わうスポットですが、愛宕念仏寺まで足を運ぶ人は少なめです。
愛宕念仏寺の見どころと言えば、何と言っても境内にある千二百羅漢です。
ずらりとならんだ羅漢は、どれも違う顔をしています。
頭や肩などが苔むしているので、相当古いもののように思ってしまいますが、これらの羅漢は近年に参拝者によって造られたもので、平成3年(1991年)11月に千二百羅漢落慶法要が行われました。
また、境内はそれほど広くないのですが、様々な建物があります。
地蔵堂に祀られている火除地蔵菩薩坐像(ひよけじぞうぼさつざぞう)は平安時代初期に造られたもので、本堂は鎌倉時代に建てられたものです。
どれも歴史がありますね。
でも、大正時代に建った愛宕念仏寺にどうして鎌倉時代の建造物があるのでしょうか。
実は、愛宕念仏寺は、もともと別の場所に建っていて、大正時代に現在地に移ってきたのです。
東山にある愛宕念仏寺元地の石柱
愛宕念仏寺があったのは、東山区の松原通大和大路東入です。
愛宕念仏寺の元地とされる場所には、それを示す石柱が立っています。
愛宕念仏寺は、平安遷都前に称徳天皇が建立したのが始まりです。
当時は、愛宕寺(おたぎでら)と呼ばれていました。
しかし、愛宕寺は平安時代の初めに鴨川の洪水により流されてしまいました。
現在の鴨川は、大雨が降ってもすぐには洪水になりませんが、昔は、白河法皇がサイコロの目と比叡山の荒法師とともに鴨川の流れは自分の思い通りにならないと嘆いていたほど、たびたび都の人々を悩ましていました。
愛宕寺が再建されたのは、平安時代中期で、この時、比叡山の末寺となり等覚山愛宕院(とうかくざんおたぎいん)と改称しました。
愛宕寺を再建した千観内供(せんかんないぐ)は、生涯念仏を唱えて絶えることがなかったことから念仏上人と呼ばれ、いつしか当寺も愛宕念仏寺と称するようになりました。
それから約1000年の時が過ぎ、愛宕念仏寺は堂宇の保存と愛宕山の信仰との関係から愛宕山のふもとの現在地に移されました。
その時に鎌倉時代に建てられた本堂も移築されたのです。
京都のお寺や神社は、よく移転することがあり、その跡地には石碑などが置かれていることがあります。
こういった跡地に訪れて石碑を見つけるのも京都散策の楽しみ方のひとつですね。