京都市右京区に大酒神社という神社が建っています。
大酒神社という社名から、お酒に関係がある神様が祀られていると思ってしまいそうですが、実はそうではありません。
この神社に祀られているのは、秦始皇帝です。
そう、あの中国の万里の長城を築いた秦始皇帝です。
これは一度は参拝しておくべきだろうと思い、先日、大酒神社を訪れました。
小さな境内
大酒神社は、広隆寺の近くに建っています。
広隆寺を東に少し進むと交差点があり、その角の三角形の敷地が大酒神社の境内となっています。
入口を見る限りでは、境内はそれほど広くはなさそうです。
秦始皇帝を祀っているというくらいだから、城郭のように大きな壁で覆われているのかと思ったのですが、想像したよりも小さな神社のようです。
もともと大酒神社は、現在の広隆寺がある辺りに建っていたそうで、創建したのは、秦始皇帝の子孫とされる功満王(くまおう)です。
功満王は、大酒神社がある太秦(うずまさ)一帯を支配していた秦氏の祖で、その子の弓月君(ゆづきのきみ)が、百済(くだら)から127県(あがた)の民衆18,000人余りを引き連れて帰化しました。
ということは、日本にいる秦氏の子孫の方は、秦始皇帝が先祖ということになりますね。
境内に入って本殿にお参り。
本殿もかなり小さめです。
こういうのも何ですが、これくらいの大きさの本殿なら、大きな神社の末社とほとんど変わりませんね。
この辺りに一大勢力を築いた秦氏の先祖が創建した神社にしては、あまりに小さすぎます。
知らない人が見たら、まさかこの小さな神社に秦始皇帝が祀られているとは思わないでしょうね。
ちなみに大酒神社は、以前は「大避」と表記していました。
これは、中国の戦乱を避けるために功満王が日本にやってきたことが由来です。
現在の大酒という表記になったのは、秦酒公(はたのさけのきみ)を祭神として祀るようになってからだそうです。
また、京都三大奇祭のひとつである広隆寺の牛祭は、大酒神社が広隆寺の桂宮院に伽藍神として祀られていた時に始まった祭礼です。
現在は、牛祭は中止されているので観たことはないのですが、魔多羅神が牛に乗って周囲を歩き、意味不明な言葉を発するという奇妙な祭りのようです。
小さな神社ですが、秦始皇帝を祀っている神社は非常に珍しいので、広隆寺の参拝などで太秦に訪れた際は、ぜひ大酒神社にも参拝してください。
なお、大酒神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。