地下鉄東山駅を東に少し歩くと、路地のようなところに金剛寺というお寺が建っています。
おそらく、観光で京都に訪れ、この辺りを歩いたことがある方でも、金剛寺に気付く方は少ないのではないでしょうか。
金剛寺は、境内もそれほど広くはないのですが、奈良時代から続く歴史のあるお寺ということなので、参拝を兼ねて境内に入ってみました。
首だけになった阿弥陀如来
下の写真に写っているのは、金剛寺の入口です。左右の建物に挟まれて何とも窮屈そうです。
門の前に立っている説明書によると、創建したのは行基で、東岩倉山の一切経谷(いっさいきょうだに)に建立した阿弥陀堂が始まりとのこと。
上(かみ)の堂とも呼ばれていたそうです。
阿弥陀堂には、行基が彫った丈六の(一丈六尺の略。約4.8メートル)阿弥陀如来像が安置されていたと伝えられています。
しかし、応仁の乱(1467年)で東岩倉山一帯が戦場となったため、阿弥陀堂は荒廃してしまいます。
焼け跡から、信者が首だけとなった阿弥陀如来を見つけ出し、粟田に粟田惣堂という仮の御堂を建て、そこに菰(こも/わらのこと)を敷いて祀ったそうです。
ちなみに、金剛寺付近の蹴上に小物座(菰座)町という地名が残っているのは、上記のことが由来とされています。
窮屈そうな門をくぐって境内に入ると、正面に本堂が建っています。
境内には、誰もいません。
やはり、路地のようなところに入口があるため、お寺の存在に気付かない人が多いのでしょうね。
金剛寺は、慶長7年(1602年)に岌然(きゅうねん)が、青蓮院の許可を得て、お堂を当地に移転し、再興されました。
その後、正徳3年(1713年)に本尊が修復され、また、享保15年(1730年)には本堂も建立されました。
現在の本堂は、この時に建てられたものです。
本堂には、もちろん丈六の阿弥陀如来像が祀られています。
私が、金剛寺に訪れた時は、本堂が閉まっていたので、阿弥陀如来を拝むことができませんでした。
なので、本堂の前で参拝を済ませて、お寺を後にしました。
東山区の金剛寺と言えば、清水寺近くに建つ八坂庚申堂も正式には金剛寺といいます。
どちらかと言うと、八坂庚申堂のほうが有名で、東京の浅草寺、大阪の天王寺とともに日本三庚申のひとつに数えられています。
なお、八坂庚申堂については、以下の過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。