京都市右京区には、2つの大きな池があります。
ひとつは大覚寺にある大沢池(おおさわのいけ)で、もうひとつは、そこから1kmほど東にある広沢池(ひろさわのいけ)です。
どちらも自然にできた池だと、当初は思っていましたが、実は人工的に造った池だということを知りました。
大沢池
大覚寺は、嵯峨天皇の離宮を貞観18年(876年)に寺に改めたもので、そこにある大沢池は、日本最古の人工の池泉で、かつ、日本で最初の庭池と伝えられています。
大沢池は、中国の洞底湖(どうていこ)を模して造られたことから底湖(ていこ)と呼ばれています。
池の周囲は約1kmあり、中には天神島と菊ヶ島という2つの島とその間に巨勢金岡(こせいかなおか)が配置したとされる底湖石があります。
この二島一石の配置は、華道嵯峨御流の基盤となっているそうです。
大沢池で目を引くのが、池の北側に建つ鮮やかな朱色の心経宝塔です。
心経宝塔は、昭和42年(1967年)に嵯峨天皇心経1150年を記念して建立されたもので、中には弘法大師像が安置されています。
池の対岸から桜越しに眺める心経宝塔は見事ですよ。
広沢池
大沢池の東に位置する広沢池は、大分県の初沢池、奈良県の猿沢池と並び、日本三沢のひとつに数えられています。
永祚元年(989年)に花山天皇の御願により、宇多天皇の孫に当たる寛朝が遍照寺を創建した際、池の南側をせき止めて造ったのが広沢池と伝えられています。
また、この付近一帯の用水池として掘られたものとも言われています。
池の周囲は、約1.2kmあるので、大沢池よりも大きいですね。
池の西側には、小さな半島のような場所があり、そこには弁財天が祀られています。
また、広沢池のほとりには、児神社(ちごじんじゃ)という神社が建っています。
神社の由緒書には以下のような説明が書かれていました。
長徳4年(998年)、寛朝が亡くなった時、遍照寺中腹の老松から龍となり昇天します。
残された寛朝の稚児は、悲しみのあまり池に身を投げて亡くなりました。
その稚児を哀れに思った近在の人々が、その霊を慰めるために神社を創建し、以来、児神社と呼ばれるようになりました。
境内には、寛朝が広沢池のほとりで坐禅をしている際、いつも稚児が腰かけていたという石椅子が置かれています。
神前で一心に祈願した後、この石に座れば、長命、安産、縁結びが叶うとか。
観光や旅行で大覚寺に訪れる時は、大沢池と広沢池にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。