2011年01月一覧

冬枯れの庭園・青蓮院

お寺などの庭園は、春の桜の時期や秋の紅葉の時期が美しいので、この時期に拝観するのがおすすめです。 しかし、春や秋の庭園が美しいと感じるのは、寒い冬を越え、暑い夏を過ぎたからではないでしょうか。 特に冬は、木々の葉が落ちて殺風景になってしまうため、春に花が咲くと、庭園がより鮮やかにより美しく見えるのだと思います。 なので、一度冬に庭園を拝観しておくと、春の庭園拝観をより楽しむことができるのではないでしょうか。 そこで、今回の記事では、遠い春を待つ、冬枯れの青蓮院(しょうれんいん)の庭園を紹介したいと思います。

青蓮院の諸堂拝観

地下鉄東山駅から南東に5分ほど歩いた辺りに青蓮院(しょうれんいん)というお寺が建っています。 青蓮院は、皇族や摂関家の関係者が代々住職となってきた格式の高い門跡寺院(もんぜきじいん)です。 確かに拝観してみると、気品があるお寺という感じがしますね。

庭にネコとカエルの像がある雙林寺

京都市東山区にある円山音楽堂から坂道を上っていくと雙林寺(そうりんじ)というお寺が建っています。 雙林寺はそれほど大きなお寺ではなく、また、隣の墓石屋さんが目立っているので、気付かずに素通りしてしまいそうになります。

隣り合って建つ西行庵と芭蕉堂

京都市東山区の円山公園と高台寺の中間に平安時代の文化人と江戸時代の文化人に縁のある建物が2軒建っています。 平安時代の文化人とは西行法師のことで、彼と関係のある建物は西行庵といいます。 その隣には、江戸時代の著名な俳人である松尾芭蕉と関係のある芭蕉堂が建っています。

応仁の乱の西軍の本陣が置かれた山名宗全邸宅跡

京都は、長い歴史の中で何度も戦乱によって焼失しています。 中でも室町時代に起こった応仁の乱(1467年)は、11年に渡って東軍と西軍が戦い、京都の町は壊滅的な状態となりました。 被災地域は、京都の3分の1にも及んだと伝えられています。 現在の京都市上京区の堀川上立売(ほりかわかみだちうり)の辺りには、山名町という地名が残っています。 この山名町には、西軍を率いた山名宗全の邸宅があったことで知られています。

紫式部・小野篁の墓と赤穂義士四十六士遺髪塔跡

京都市北区の堀川通と北大路通が交差する堀川北大路とそこから300メートルほど南にある堀川紫明付近の間には、平安時代に活躍した2人の人物のお墓と江戸時代の義士の遺髪塔跡があります。 平安時代に活躍した人物のお墓は、紫式部と小野篁(おののたかむら)のものです。 そして、江戸時代の義士の遺髪塔跡は、赤穂浪士のものです。 どちらも大きな企業の敷地近くに存在しています。

10月から咲き始める御会式桜・妙蓮寺

京都市上京区の市バス亭堀川寺之内から北に少し歩くと妙蓮寺という法華寺のお寺が建っています。 創建されたのは鎌倉時代で、その後、何度か移転した後、現在地に定まりました。 妙蓮寺は、広い境内を持つお寺なのですが、意外と知られていません。 なので、妙蓮寺の不思議な桜についても、ご存じない方が多いことでしょう。

都の北を守護する船岡山と玄武神社

京都に都がおかれたのは、この地が四神相応の地だったからと伝えられています。 四神とは、四方を守る神のことで、北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎をいいます。 そして、四神相応の地とは、北に山、南に湖、東に川、西に道がある地形を意味します。 これを京都に当てはめると、北に船岡山、南に巨椋池(おぐらいけ)、東に鴨川、西に山陰道があり、正に四神相応の地と呼べる地形だったのです。 今回の記事では、北の船岡山とその東にある玄武神社を紹介します。

建勲神社の雪景色

京都市北区には、小高い丘のような山があります。 この山は船岡山と呼ばれており、そこには織田信長を祀っている建勲神社(たけいさおじんじゃ)が建っています。 今回の記事では、境内に雪が積もった建勲神社を紹介します。

今宮神社の雪景色

2011年1月は、京都を寒波が襲いました。 各地で雪が降り、地面が真っ白になるほど積もる地域もありました。 こういう寒い冬は、あまり散策に出かけたくないのですが、しかし、寒い日だからこそ見れる景色もあるので、京都市北区にある今宮神社にお参りに行くことに。