京都市の西大路通は、車の交通量が多い道路です。
道路沿いの建物も近代的なものが多いため、西大路通を歩いていても、それほど京都らしさを感じません。
しかし、そんな西大路通でも、探してみれば京都らしさを感じる場所がいくつかあります。
八条通と交差する西大路八条に社殿を構える若一神社(にゃくいちじんじゃ)もそのひとつです。
平清盛所縁の神社
西大路八条に到着すると、近代的な建物に混ざって、うっそうと木が生い茂る敷地が現れます。
そこが若一神社です。
若一神社は、仁安元年(1166年)に平清盛が邸宅の西八条殿の鎮守社として創建したのが始まりです。
それほど広くない境内には、平清盛と関係のあるものがいくつかあります。
境内に入ったら、まずは本殿にお参り。
平清盛が若一神社を創建した翌年に太政大臣に任命されたことから、当社は、開運出世のご利益があるとされています。
しっかりとお祈りしておきましょう。
本殿の向かい側には、「平清盛公ゆかりの御神水」があります。
この御神水も開運出世のご利益があると伝えられています。
また、新生児誕生に際しての産湯としても有名とか。
御神水の隣には、祇王の歌碑が置かれています。
祇王は、平安時代末期の白拍子で、清盛の寵愛を受け西八条殿に住まうこととなりました。
しかし、清盛の心はやがて祇王から離れ、同じ白拍子の仏御前へとうつります。
そのため、祇王は、清盛から追い出されるように西八条殿から立ち去ることになりました。
その時、障子に形見として書き遺したのが、下の歌です。
萌えいずるも 枯るるも同じ 野辺の草 何れか秋に あはで果つべき
若一神社の境内の歌碑には、この歌が刻まれています。
なお、祇王と仏御前については、以下の過去記事で紹介しています。
狭い境内にたくさんある末社
先ほども述べましたが、若一神社の境内はそれほど広くはありませんが、末社はたくさん建っています。
簡単にそれぞれの末社を紹介しておきます。
弁財天社
境内の南西の角には、弁財天社が建っています。
正徳5年(1715年)に琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)から勧請(かんじょう)したのが始まりです。
祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、芸能、音楽、福運のご利益があるとされています。
寿命社
弁財天社の隣には、寿命社が建っています。
寿命社は、天正年間(1573-1592年)に播州高砂神社より勧請されました。
良縁、夫婦円満、子孫繁栄、延命長寿のご利益があります。
楠社
歩道を挟んで境内の向かい側には、楠社があります。
楠社には、平清盛が植えたと伝えられている楠の御神木があります。
稲荷社
境内の北西の角には、稲荷社が建っています。
稲荷社は、伏見稲荷大社から勧請されました。
お稲荷さんのご利益と言えば、商売繁盛ですよね。
松尾社
松尾社は、本殿の奥の薄暗い場所に建っています。
松尾社には、お酒の神様の松尾大神が祀られています。
上で紹介した末社の他にも祖霊社という末社もあります。祖霊社については、若一神社の参拝時に見逃してしまったので、写真はありません。
なお、若一神社の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。