あなたは、あることが上手な人の前で、そのことを披露するのを躊躇してしまうことはないですか。
例えば、プロゴルファーの見ている前でゴルフをしたり、歌手の前で歌ってみたり。
プロの前で披露することは少ないのかもしれませんが、自分よりも上手な人の前でゴルフをしたり歌を歌ったりするのは、恥ずかしい感じがして、遠慮してしまいますよね。
これと似たような話が、上京区に建つ浄土院というお寺にも伝えられています。
北野大茶の湯
天正15年(1587年)に北野天満宮で、北野大茶の湯が催されました。
主催したのは、豊臣秀吉です。
豊臣秀吉もその主であった織田信長も当時の権力者は、お茶に興味を持っていました。
特に派手好きで知られる秀吉は、金の茶室を造るほどで、北野大茶の湯も身分にかかわらず、町人や百姓も参加させて、盛大に行われました。
北野大茶の湯については、「歴史データ館」さんの下記ページで詳しく解説されていますので、ご覧になってください。
秀吉と利休が立ち寄った浄土院
盛大に催された北野大茶の湯の帰り(行きとも伝えられている)に秀吉と千利休が、北野天満宮近くに建つ浄土院に立ち寄ります。
秀吉と利休は、のどが渇いたので住職にお茶を所望しました。
しかし、住職は二人にお茶ではなく白湯を持ってきます。
秀吉は、何度もお茶を所望しますが、出てくるのは白湯ばかり。
住職は、秀吉や利休といった大茶人の前でお茶を点てる自信がなかったのです。
そこで秀吉は、「この寺は、白湯ばかりたくさん出てきて、お茶はくれないお寺だから、今後は湯たくさん茶くれん寺と呼べ」と命じました。
それ以来、浄土寺は湯たくさん茶くれん寺と呼ばれるようになったのです。
湯たくさん茶くれん寺は、上京区の浄土院の他にも八幡市の京阪電車橋本駅の改札口からすぐの場所にも建っています。
こちらのお寺は正式には西遊寺というのですが、浄土院と同じように秀吉と所縁のあるお寺です。
西遊寺が、湯たくさん茶くれん寺と呼ばれるようになった理由については、「桜貝のぶらり京都旅」さんのふたつの 湯たくさん茶くれん寺の記事で紹介されていますので、ご覧になってください。
京都には、湯たくさん茶くれん寺のように通称で親しまれているお寺がたくさんあります。
こういった通称寺の由来を調べてみるのも興味深いですよ。
このブログでも、他の通称寺の由来について紹介していきたいと思います。
なお、浄土院の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。