東海道五十三次の西の出発点・三条大橋

江戸と京を結ぶ東海道は、東の出発点が日本橋で西の出発点が鴨川に架かる三条大橋でした。

現在の長さは約100メートルあり、しっかりとした橋ですね。

ところで、三条大橋はいつから鴨川に架かっていたのでしょうか?

京の七口のひとつ粟田口は三条大橋に置かれた

昔、京都には、京の七口と呼ばれる7つの関所が置かれていましたが、そのひとつの粟田口は三条大橋に置かれました。

粟田口は、平安時代から存在していたようで、三条大橋に置かれたこともあれば、それよりも東の蹴上付近に置かれたこともあるようです。なので、三条大橋は平安時代から鴨川に架かっていたと考えられます。

しかし、三条大橋は、四条や五条の橋とは異なり、昔から常に架かっていた橋ではなかったようです。

現在の三条大橋はいつから架かっていたのか?

では、現在の三条大橋はいつ架けられたのでしょうか?

本格的な橋が架けられたのは、天正18年(1590年)です。

この前年に、豊臣秀吉が、小田原の北条氏を攻めるために五奉行の一人・増田長盛(ましたながもり)に、三条大橋の大改修を命じています。

そして、天正18年に日本最初の石柱橋として三条大橋が完成したのです。

現在も三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)には、天正18年の銘文が残っています。

その後は、江戸幕府ができて江戸との交通が重要となったため、三条大橋は正式に京の玄関口となりました。

しかし、三条大橋は、たびたび洪水によって流されたり破損したりしました。そして、そのたびに幕府によって架け替えや修復が行われ、維持されてきたのです。

それから時は流れ、昭和25年(1950年)に再建され、現在の三条大橋となっています。

日本最初の石柱橋として完成した三条大橋

日本最初の石柱橋として完成した三条大橋

先にも述べましたが、江戸時代には、江戸と京の交通の重要性が増したことから、東海道が整備され、各地に宿場が設けられました。

その宿場の数が53あったことから、東海道五十三次と呼ばれるようになったわけです。

現在でも、東海道は交通の面で関東と関西を結ぶ重要な幹線となっており、新幹線も走っていますね。

また、東海道は今でも歩いて東京と京都の間を行き来できるようです。

東海道53次ウォークというブログでは、管理人さんが約1ヶ月かけて日本橋から三条大橋まで歩いた内容が紹介されています。

2009年10月3日に出発し、30日に到着したようです。11月1日に京都に着いていれば京都御所の特別公開を観ることができたのですが、少しタイミングが悪かったですね。

お疲れさまでした。

こちらのブログでは、出発前の準備についても詳しく書かれているので、東海道を歩いてみたいという方は参考にするといいと思います。また、歩いている時の景色や各宿場の内容が写真とともに掲載されているので、読んでいると自分が歩いているような感覚になりますよ。