「左京区」一覧

宗忠神社の東にある陽成天皇神楽岡東陵

京都市左京区の神楽岡には、宗忠神社が鎮座しています。 神楽岡を東に下ったところに立つ鳥居の両脇に逆立ちする狛犬がいることで有名ですね。 その狛犬から東に進むと、左手に開けた土地が見えてきます。 ここは、第57代陽成天皇の御陵、すなわち、陽成天皇神楽岡東陵(ようぜいてんのうかぐらがおかのひがしのみささぎ)。

2020年以降に京都市左京区に開業した高級ホテル

京都市左京区は、南禅寺や平安神宮といった人気の観光名所が多いものの、住宅地であることからホテルは少なめ。 そのため、左京区を中心に観光をする場合でも、ホテルは京都駅や烏丸御池など、離れた場所に予約するのが無難です。 ただ、近年は左京区にもホテルが建設され始め、当エリアの観光名所周辺でも宿泊しやすくなっています。 今回は、2020年以降、左京区に新規開業した高級ホテルを紹介します。

下鴨神社の印納社は古くなったハンコを埋納してくれる

日本国内には、変わった願い事を叶えてくれたり、珍しいご利益を授けてくれたりする神さまを祀る神社がいくつもあります。 京都市左京区の下鴨神社の境内に建つ印納社(いんのうのやしろ/いんのうしゃ)も、そういった神社の一つ。 印はハンコのことですから、印納社は、古くなったハンコを納める社だということが、その名からわかるかと思います。 下鴨神社の説明書にも、「古印を納め御守護を仰ぐお社」と記されています。

糺の森は賀茂川と高野川の合流地点が由来

糺(ただす)の森は、京都市左京区に残る原生林。 下鴨神社が鎮座する地として古くから京都人に親しまれてきた地。 森の中に入ると気温が幾分低く感じられることから、暑い夏でも比較的涼しく感じられます。 糺の森の語源は諸説ありますが、この辺りの地形が由来とする説が現在に伝えられています。

江戸幕府によって城構えに改められた知恩院と金戒光明寺

京都市東山区の知恩院と左京区の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、ともに浄土宗の本山であり、広々とした境内に豪壮な建物がいくつも建っています。 どちらも浄土宗の開祖の法然上人ゆかりの地ですが、現在の寺観になったのは江戸時代のこと。 徳川家の援助を受けて、境内が整備されたのですが、そこには、幕府の戦略的な意図があったとされています。

後鳥羽天皇大原陵と順徳天皇大原陵

承久3年(1221年)に後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権である北条義時を討伐するために挙兵した承久の乱は、上皇の敗北で終わりました。 その後、上皇は隠岐に流罪となり、延応元年(1239年)に帰京かなわず彼の地で崩御しています。 ということは、後鳥羽上皇の陵墓は隠岐にあるのだろうと思いますが、実は、京都市左京区の大原にあります。 一体どういう経緯で大原に埋葬されたのでしょうか。

大豊神社に祀られる少彦名命は医薬の神さま

京都市左京区の哲学の道沿いに建つ大豊神社は、仁和3年(887年)に宇多天皇の病気平癒のために創建された社。 主祭神として祀るのは、医薬の神として信仰される少彦名命(すくなひこなのみこと)です。 天皇の病を治癒する目的で創建した社ですから、治病健康にご利益がある神さまを祀ったのは納得。 ところで、少彦名命は、なぜ医薬の神さまとして崇敬されているのでしょうか。

初夏の要法寺にサツキを見に行った・2026年

5月15日に河原町丸太町に葵祭の路頭の儀を見に行った後、南東に約15分歩き、京都市左京区の要法寺(ようぼうじ)に参拝しました。 要法寺では、毎年、ゴールデンウィーク頃に清涼池でカモの雛が産まれます。 そのまま1ヶ月ほど要法寺で過ごした後、親子そろって鴨川に引っ越しする光景は、メディアでも取り上げられることが多いですね。 今回の参拝は、カモの雛とそろそろ咲き始めているサツキを見ることが目的です。

蹴上船溜と南禅寺船溜の高低差を乗り越えるために活躍したインクライン

千年以上に渡り都が置かれた京都は、街の発展にともない経済的に重要な都市となっていきました。 経済発展した都市では、人や物の行き来が盛んになるもの。 しかし、京都は海に面しておらず、しかも、盆地であることから流通に難を抱え、他の都市との競争で遅れを取ってしまうとの危機感が持たれていました。 その解消のために利用が計画されたのが、隣県滋賀の琵琶湖。 江戸時代には、琵琶湖から京都に運河を造り、舟運で物資を輸送する案が何度も浮上しましたが、当時の土木技術では画餅に過ぎず実行に移されることはありませんでした。